①決断の前に何度か考えよ、②指摘を素直に受け取れないのは危険信号、③”いま”ご褒美がもらえる仕組みをつくれ -- 「事実はなぜ人の意見を変えられないのか」の読書ノート
この記事は、ターリ・シャーロット『事実はなぜ人の意見を変えられないのか -- 説得力と影響力の科学 -- 』の読書ノートである。私が受け取ったことは必ずしもSharotが言おうとしていたことと一致していないので、気になった方はぜひ原著をお読みください。
①決断の前に何度か考えよ
私は、大事な決断をするとき、那須高原に行って、何日間かこもって考えることにしている。第一に、心理学徒として、大切な決断を前にしたとき、人間は直観的な判断をしがちであり、色々と理由を述べていても直観の後追いでしかないことを嫌というほど知っているからだ。第二に、人間の人生や幸福にとって重要なのは決断した後、後悔しないことであるのを知っているからだ。後悔しないためには、「十分に時間をかけた」「少なくともあの状況では可能な限り考えた」と決断した後、自分で自分に声をかけられることが重要だからである。
Sharotは、何かを決断する際、時間をおいて何度か自問自答するべきだという。その理由は「人は決断を下すとき、手に入る情報をすべて利用していないか」である (p.221)。なるほど、これは実感に合う。先程、数日間那須高原に数日間こもるという話をしたが、振り返るとその数日間ですべてを決めているわけではない。むしろ、決断に迫られてから那須高原にいくまで、矛盾する考えも含め、様々な結論を考え、行きつ戻りつしている、という方が正しい。私にとって、那須高原にいくのは自問自答の「平均値」を取るため、言い換えれば拡散した思考をまとめるためだったのである。逆に言えば(厳しい言い方になるが)「週末こもって考える」ことで効果を実感できないときは、むしろ「平日考えていない」可能性があるのではないか。
なお、Sharotが以上の結論を引き出すために依拠しているのは、以下の論文である。同じ問題を3週間あけて解き直してもらい、1回目の回答と2回目の回答を平均すると、1回目よりも2回目よりも高い得点を得ることができることが示されている。
Vul, E., & Pashler, H. (2008). Measuring the crowd within: Probabilistic representations within individuals. Psychological Science, 19(7), 645-647.
http://laplab.ucsd.edu/articles/Vul_Pashler_PS2008.pdf
②指摘を素直に受け取れないのは危険信号
人間が成長するためには、他者から指摘(フィードバック)を受け取ることが欠かせない。誰が言ったわけでもなく私の思いつきだが、成長の公式は以下のようにまとめられると思っており、最近は機会がある度に後輩などに伝えることにしている。
成長 = フィードバックを受けた回数 × 素直に受け取れた回数
さて、成長のうち、フィードバックを受けることは簡単だ。人は他者に何かを教えたいという欲求を持っている。そのため、「フィードバックをください」と言えば、ほとんどの人が必ず何かしらのフィードバックをくれるだろう(もちろん「私に何かを言う権利があるとは思わないけど…」と前置きされることが多いと思うが)。問題は、「素直に受け取れた」回数を増やすことである。私はSharotの文章をそう読んだ。
Sharotは、人間は自分が嬉しくなる情報を探し、自分が嫌な気持ちになる情報を遠ざけることを様々なデータを用いて論じる。例えば、「勝つ確率が高いほど、人は結果を知りたくなる」(p.142) し、「市場が下落したときよりも上昇したときの方が、持ち株の価値をチェックする回数が多くなる」(p.148)といった結果もあるようだ。
なぜそうなるのかについてのSharotの解釈は美しい。「知識の代償は、自分が信じたいことを信じる選択肢を失うこと」(p.145)であると述べる。すなわち、フィードバックを素直に受け取れないのは、フィードバックを受け取ることで「自分は完璧だ(改善余地がない)」という甘いストーリーを信じられなくなるからである。それゆえ、指摘(フィードバック)を素直に受け取れないときは、痛いところをつかれていることが多い。直さないといけないときほど、素直に受け取れないというバグが人間の心にはあるわけだ。
Sharotはあくまで情報の発信側について論じているので、フィードバックを受け取る側がどうしたら素直になれるのかはこの章には明確に述べられていない。しかし、第6章ではリスクを取ることについて述べており、フィードバックを素直に受け取ることはリスクを伴う行動であると考えられるため、ヒントになる可能性がある。Sharotいわく、「危険を冒すためには、それが効果を生む可能性を思い描く必要」がある(p.169-170)。つまり、私の文脈では、フィードバックを素直に受け取るためには、成長したあとの自分の姿を生き生きとイメージできていなければならない。そうすればフィードバックは「思い込みの理想像を信じるための材料」から「理想の自分へと近付くための梯子」へと姿を変えるだろう。
なお、以上の結論を引き出すためにSharotが依拠している論文は数多くあるが、上記で引用した株価チェックの論文を置いておく。
Karlsson, N., Loewenstein, G., & Seppi, D. (2009). The ostrich effect: Selective attention to information. Journal of Risk and uncertainty, 38(2), 95-115.
https://link.springer.com/article/10.1007/s11166-009-9060-6
③”いま”ご褒美がもらえる仕組みをつくれ
あなたは計画を立てて物事を進めるタイプだろうか。それとも、計画は立てるがその通りに進められないタイプだろうか。そもそも計画を立てるのが苦手なタイプだろうか。
世の中の多くの人は、(それがどれほど精緻かは置いておいて)計画は立てるが、その通りには進められないのではないだろうか。ダイエットが続かないのは有名な話だし、受験勉強のときも先生から「計画を立てて進めましょう」と口酸っぱく言われても、計画通りに進められた人は少ないのではないだろうか。
かくいう私も、計画は大雑把に立てるが、計画の通り進めるのは苦手なタイプである。大学受験のときも、あと3ヶ月でこの参考書マスターするかー位のざっくりとした目標だけ立てて、毎日何ページやるか等は割と気分で決めていた。色々試した結果、そのほうがうまくいったからだ。
Sharotによれば、人間は未来のためにではなく、今のために行動する傾向がある。「脳は、いますぐ食べられるマシュマロを、将来食べられるマシュマロよりも価値の高いものとして扱う」(p.92) 傾向にあるのだ 。なぜ人間は未来のために行動できないのだろうか。Sharotの答えは単純だが、洞察に満ちている。それは、未来はあてにならないからである。実験結果によれば「未来が不確かだとみなされるほど、たったいま得られる満足感を将来の喜びのために先送りする可能性は少なくなる」(p.94) ようだ。確かに私たちは将来病気になるかもしれないし、人類は将来温暖化した地球で生きていけないかもしれないが、それが100%起こるとは信じていない。Sharotいわく、「問題は『かもしれない』という部分に存在する」(p.95)。
私たちは望ましい未来、それも遠い未来のために計画を立てる。そして計画を毎日実行しなければ、計画は達成されないかもしれないと考える。しかし実際には、今日行動しなくても、明日スイッチが入って生産性があがり、結果的には計画は達成されるかもしれない。今日行動しないことで将来が駄目になってしまうかは分からない。たいていは楽観的になって「明日から本気を出す」ことにしてしまう。だから、問題集を解くより楽しいこと(漫画を読むこと、カフェで友達としゃべること、ゲームをすること)に手を出してしまう。かくして、計画は達成されないのである。
では、どうすればいいのだろうか。大切なのは、「計画を実行すると今すぐに嬉しくなる」仕組みを自分の中で創ることである。ご褒美はほんのちょっとしたことでいい。また、自分だけで完結するマイルールはすぐに甘えてしまうので、他者や環境をうまく使うべきだ。例えば、毎日英単語を30個覚えるのだとしたら、仲のいい友達と同盟を組んで、毎日テストしてもらう。テストに合格できれば、友達に褒めてもらえるし、誇らしい気持ちになるだろう。あるいは、アプリで勉強時間を記録していき、その数値が積み上がることが嬉しい人もいるだろう。もしくは、3時間勉強できたらエクレアを買うのをマイルールにして、エクレアのために頑張ってもいいかもしれない。
Sharotの示している研究は、3−5歳の子どもたちがマシュマロを我慢できるか?を用いて、以上の含意を引き出している。
Kidd, C., Palmeri, H., & Aslin, R. N. (2013). Rational snacking: Young children’s decision-making on the marshmallow task is moderated by beliefs about environmental reliability. Cognition, 126(1), 109-114.
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0010027712001849
その他、面白いと思ったこと
次の二つの条件下では、不安がうまく機能する。a.「何もしない」ように仕向けようとしている。b.説得する条件が既に不安定な状況にある(p.11) → コロナウイルスのワクチンについてのメディアの報道も同じ状況にある。伝えようとしているのは、ワクチンを「打たないように」することだ。それに、ワクチンを打っていいのか、多くの人は少しばかりは不安に思っている。だから、不安が蔓延している。
認知能力が優れている人ほど、情報を合理化して都合の良いように解釈する能力も高くなり、ひいては自分の意見に合わせて巧みにデータを歪めてしまう。(p.32) → 普通、賢いほどデータを正しく解釈できると考えるが、感情に基づいて判断してから推論を始めるのが人間の修正なのでこうなる。
結婚生活が長く続く要因は「類似性」である(p.17) → 意見が異なる人とは週末一緒に過ごすくらいなら楽しいかもしれないが、それが四六時中続くと耐えられない、ということなのだろう。
ワクチンの副作用への不安を払拭しようとするよりも、子供たちを重病から守るワクチンの力を強調する方が、予防接種に対する意識に変化が見られたのだ (p.42) → 現在のコロナ禍にドンピシャな研究結果。Twitterでは科学者がワクチンの副作用に反論しているが、効果は薄い。ワクチンでどんな素晴らしい未来が待っているかを語らなければならない。
アイデアを共有するには時間と認知的な努力を要することが多いが、感情の共有には手間もかからない(p.56) → 本文で述べられているが、SNSでフェイクニュースが跋扈するのは、感情が思考よりも速い速度で電波するからである。感情の速度や低コスト性については、それに気付いた上で日常を見直すとハッとすることが多い
上機嫌な生徒を紛れ込ませたグループは、協力し合うことは多いが衝突は少なく、優れたパフォーマンスを見せた。不機嫌な生徒を投入したグループは、課題の出来もずっと悪かった。(p.62) → 地味な話だが、先生の働き方改革で余裕が出てくれば、それだけで先生が上機嫌になり、生徒の成績が向上する、といったこともあるかもしれない。(興味ある人がいれば、誰か一緒に研究しませんか?)
何かを決断するとき(たとえば株式投資をするかどうか迷っているとき)、人は得るものよりも失うものに重きを置く。(p.88) → 人間にこの種のバイアスがあることを知っていれば、「得るもの」を意識的に思考できて、決断がよりよくなる。
税金が他の支出よりも耐え難いのは、そこに選択の余地がないからだ。......人々が主体性を取り戻せたら、税金が支払われる率も上がるだろうか?......単に意思表示の機会を与えただけで、順守率が約50%から70%に上昇したのだ!(p.106) → 若者の政治参加が社会問題のテーマとしてよく挙げられるが、本来、人間は意思表示したい生き物なので、教育の問題というよりは、意思表示の回路がないことのほうが問題なのかもしれない。
実際にデザインしたかどうかはまったく問題ではなく、唯一重要なのは自分が作ったと信じることだった。…...大切なのは認識であり、客観的事実ではない。(p.124-125)
彼女がiPhoneを選んだのは、両親がいつも興味深そうにいじっているのを、生まれたその日から見てきたからだ。(p.185) ... 誰かの「選ぶ」行為を見るだけで、その選択肢は価値が増すように感じられ、別の人にも選ばれることが多くなる (p.192) → 学校をただのサービス提供機関と見なすのではなく、コミュニティと見なすべき論拠の一つ。子どもたちは、周りの子どもたちが選択していることに強く影響を受ける。灘高校や開成高校の東大進学者が多いのも、その教育プログラムの効果よりは、「周りが東大を選ぶから自分も東大にした」という人が多いことに起因するだろう。
バブルの影響を受けやすく、高値で株を買う傾向のある人は、たとえば自分の目を見ただけで心の状態がわかるなど、心の理論をうまく使いこなすことのできる人でもある (p.206) → 周りの人の気持ちを読むのがうまいと思っている人は気をつけましょう…。
完全な意見の一致を前にしたときに違った見解を表明できる個人は、30%しかいない (p.216) → 30%しかと書いてあるが、思ったよりも多いなと思った。恐らく日本ではもう少し少ないのではないか。