日常の交換をするかしないか。
昨日、移住計画のメンバーとstand fmで雑談をしていて
今後の移住の取り組みってどう?みたいな話になった。
移住の今後
僕としては、いやもう移住する人はするし
そもそも移住計画の役割の見直ししないと時代に合わないんじゃないかなーと思っていると答えた。
京都チームもまさにメンバーで今後についての話をしていたようで
取り組み方や考え方を共有してくれて
そこからワーケーションどう進む?みたいな話になったのだ。
ワーケーション。
甘美な響きワーケーション。
実際どのくらいの人ができるのだろうか。
この事業に関しては、推進派もいるし懐疑派もいる。
もし進めるならという視点で、話しながら整理したのは2つ。
①推進する自治体職員や地域のフリーランスがちゃんとそのスポットを使っているか。
②日常/非日常を訪問してくれる人だけの視点で考えるな。
です。
①推進する自治体職員や地域のフリーランスがちゃんとそのスポットを使っているか。
これに関しては、ほんとそうで、いやここほんとに使っているの?だったり、これから広めていきたいと思うのはわかるけど、ほんとそこで続ける?という視点だ。野外はいいけど、30分外いるって暑いし、PC的にはよくない。ワーケーションプログラム設計的にはよくても、そこで仕事をしたい人の業務設計環境として本当に適切かを考える必要がある。心地よかったら、ほんとそこにいつも誰かがいて欲しいと思ってしまう。
②日常/非日常を訪問してくれる人だけの視点で考えるな。
非日常での仕事環境に憧れる人もいる。いつもの仕事をその非日常でするから悦にはいるのもわかる(僕も昔スタバとかでやっているのがそれだったりしたw)。ただ、ワーケーションの考え方って、日常の拡張なわけで、ちょっとした息抜きの仕方を変えるという発想だと思っている。旅行先で仕事をする、ではなく、仕事の休憩の質をあげる、に尽きると思っている。
だから、非日常にいつもの日常感の仕事だとあまり意味がなくて、訪れた地域の人の仕事を体感したり、自分が持っている仕事の考え方を地元にシェアする必要があると思っている。そこに、日常と非日常の交換があると思っている。
ワーケーションの受け入れ側は、地元の人からするとただの日常だ。でもそこにいつもいない人と新しい体験をすることで非日常になる。
逆もそうで、ワーケーション参加者も地元のことに触れることで非日常な体験になる。密にならないように個人でというのもわかるが、日常の交換をしたほうがその土地の思い出にもなりやすい。もし一人で仕事をバリバリこなしたい人は、休憩の質が高まったからこそ仕事がなんか終わったという経験をすると思う。
日常っていうけど、今起きていることは新しい瞬間の出会いの連続だから非日常なんだよね。という哲学的な見方もあるが、誰にとっての日常なのか、非日常なのかは立場によって変わるよねという視点でした。
ワーケーションじゃなくても、どの立場から主観的にみるかで
やさしくできたり、リスクヘッジできると思うんです。
本日の問い;日常と非日常の主観は、誰を意識しているか。