
ゆっくり 私時間
ふと思った。ひとりになる時間は、1日のうちにどれくらいあるだろうか。
ひとり、1人、独り。
どの言葉をあてはめるかで思い浮かべる印象も違うかもしれない。それに、意図的に(ひとりに)なるのと不本意になるのとでは意味合いは全く違うけれど…。
私自身は"ひとり"でいることがわりと苦ではない。思えば、寮生活や実家暮らしの時も、部屋を変えたり時間をずらしたりして、他の人から干渉されない時間を作っていた。
ひとりになって過ごす時間は、自分を見つめる、素の自分にもどる時間。そして、自分の未来を考える時間でもあると思っているからだ。
自分にとって必要な場。だから、意図的にひとりになる時間を作ることもある。
そういえば昔、"my weekend house ゆっくり私時間"という数分間の番組をよくみていた。ゆっくり(ゆったりとも感じられる)とした時間の流れが、とても好きだった。
"この週末は…"というナレーションで始まり、1人の女性が週末にそこで何をして過ごすかがうつしだされる。舞台はツリーハウスで、当時はそれ自体にも憧れがあった。
今でも覚えているのは、桃のコンポートとクリスマスリース。
桃は生で食べるほうが好きだし、うちではクリスマスにリースを飾らない。…つまり、当時の私にとってはわざわざしなくてもいいし、なくても困らないモノやコトだったのだ。
その"なくても困らないモノやコト"にあえて時間をかけている。そこに、"心の豊かさ"を感じた。
そして、やったことのないことをやってみる微かな高揚、緊張。期待、ワクワクする気持ち。童心にもどって素の自分を引き出す楽しさも感じた。
その時感じた心地よさ。それが今きっと、ひとり時間の過ごし方や"ひとり"という言葉へのポジティブな印象を作ってくれているように思う。
"ゆっくり 私時間"のように。時間に追われるのではなく、"今" "このとき"を味わっているような…贅沢な時間の使い方。それが私にとっての、ひとり時間。