2児のママが社会復帰リハビリを終えて思うこと
わたしは今ひとりバスに揺られている。
いまお世話になっている小杉湯となりの部活動「山登り部」で石割山(山梨県)に向かっているからだ。
道中は、富士山も見え、久しぶりの登山にワクワクが膨らんでいく。
そんな最中、ふとこの時間がとても貴重で久しぶりなことに気がつく。
雑記だけど、そんなバスの道中でふと思考したことを綴っておこうと思います。
23歳で結婚して、24歳で出産、26歳で2人目出産して。コロナ禍だったこともあって、この5年間くらいは家庭とシェアハウスという、内々の『安心』というぬるま湯に長く浸かっていて。
このままだと、どんどん自分の世界が小さくなってしまうことが怖くて、再び外の世界にやってきたのが一昨年〜去年だった。
仕事というきっかけから、改めて社会との繋がりを辿りだしたけど、最初はひとりで知らぬ街の電車に乗ることも怖くなってしまっていて。
少し前にはバックパックひとつで、海外や日本をあちこちで行き来していたわたしが⁈と、驚く人もいるかもだけど、それよりもまず自分自身がびっくりだった。
でもそのくらい、旦那や家族・住人・友人という安心してできる人たちに囲まれて、文字通り頼りきって過ごしてきたことを感じた。とても幸せなことでもあるし、感謝もドバーッと溢れてきた。
反面、子をもつ家庭がいかに社会と関わる接点を保ち続けることの難しさを痛感した。
飲み歩いてた夜の外出もなくなり、仕事も子の体調に合わせて調整しやすいリモートや業務委託が増えたし、双方の心配や気遣いが疎ましくて家族や住人たちとだけで外出することも多かった。
( 当時は特に子をもたない方、逆に同い年くらいの子をもつ家庭同士で同行するのがしんどかった。
慣れない育児で自分にも余裕がなかったから子の機嫌や状態で色々と合わせてもらうのが申し訳なかったし、まだ自制なんかできず発育の違いで生じてしまう怪我やトラブルで言う「ごめんなさい」がしんどかった。そのお陰で、ママ友とか、児童館とか、どんどん足が遠のいてしまった🫠)
そうやって、どんどん自分の住処が小さくなっていってしまったところから、見知らぬ街への電車の乗り換えがあって、知る人が誰もいない職場で働くという、社会への復帰は本当にハードルが高かった。
特に社会復帰後初の仕事は、職種も働き方も時期も背伸びしきった挑戦だった。
(妊娠8ヶ月目でジョイン、切迫早産、産後40日とかで復帰、1日中PCと向き合うという新職種、未経験でフルリモ勤務)
当たり前なんだけど色々とできないことも多くて最終的に契約更新なし(実質クビ)という結果で自信をごっそり持ってかれてしまった。
でもお陰で、自分の特性を活かせる仕事選びに繋がり。その後は仕事にプライベートの大半を持っていってしまうくらいのめり込めり、自信も回復し、自分と社会とを繋がりも、紐くらいから縄へと太く強くなった気がする🪢
今日こうやってひとりでバスに乗り、県外へ自分自身の楽しみのために動けるのは、実質2年くらいかけたそんなリハビリ生活があったからだなぁと、行きのバスに乗りながら感じたのでした。
(本当にシンプルにめちゃくちゃ嬉しいし、これからの登山も楽しみすぎる...!)
めちゃくちゃ雑記になってしまったから、なんとか自分が感じたこことをまとめておきます。