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「フィンチ」を見た(ネタバレあり)
トム・ハンクスの演技は絶妙だが、彼一人だけでは2時間はもたない
紫外線で地球上の生物がほぼ死滅していると思われる世界で、フィンチという発明家が犬とロボットと生活していた。彼は、新しくアンドロイドを作り、大嵐で襲われる棲家を離れ、カリフォルニアを目指す旅に出る。
概 要
この映画は、最初から最後まで人間はフィンチしか出てこない。そして人間のフィンチがアンドロイドのジェフと、旅を通じて起こる様々な出来事を通じて、徐々に心を通わせるという物語だ。心を通わせるというよりも、フィンチがアンドロイドのジェフを少しずつ人に近い存在として認めていくという話だ。
アンドロイドのジェフは、迫ってくる嵐のために、当初予定していたデータの転送が十分にできない状態で稼働することになった。体のバーツなどもおそらくは当初予定していたものではなく間に合わせのもので作られたのでは無いだろうか(映画内ではそういった表現はないが)。
そこから歩きを教えたりして、なんとか旅立ちに間に合わせた感じだった。
ジェフも、フィンチから色々と学んで何とか役に立とうとするが、いつも失敗してしまい、結果的にずっとフィンチの探索を補助していたロボットも失ってしまう。
フィンチは、アンドロイドの行動を見て、当初の想定とは違ったと感じて、失敗したと思ったのではないだろうか。ただ、ひたすらフィンチのために何かしようとする一生懸命な行動と自分の死期がいよいよ近いことを悟り、改めて彼に後を託す決意をしたのだと思う。
当初、アンドロイドには名前がなかった。フィンチは、「自分一人しかいないから名前は呼ぶ必要はない」と言った発言をしていたが、流石に必要ないと思っていたわけではなかったと思う。名前をつけていなかったのは単純に、最初は機械としか考えていなかったからだと思う。
それが、旅を続けていく中で、少しづつ名前をつけていくという位置付けに変わってきたのではないだろうか。
そして最終的には、彼の中では少なくとも人に近い存在になっていたのではないだろうか。
今回も登場人物少なめ
偶然だとは思うが、前回見た「グレイハウンド」以上にトム・ハンクス以外の登場人物が少ない映画だった。そもそも原作がそういう設定だったからなのだと思うが、もしかしたらトム・ハンクスの出演料があまりに高いためにその他配役が比較的少ない作品が出演作として選ばれているのではないかと考えてしまった。
非常にヒットする作品であれば問題ないが、ヒットが見込めない作品の場合は予算も限られると思うので、予算バランスを考えると必然的に配役が少ない作品とならざると得ないと考えたのだが、考えすぎだろうか。
まとめ
トム・ハンクスは確かに名俳優で、演技も文句のつけどころがないのだが、ロボットとのやりとりを2時間近く見るのは、少し食傷ぎみになる。原作があるのでこの辺りは調整が難しかったのかもしれないが、人は出せなくてももう少し何か工夫ができたのではないかと思った。