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野菜のぬか漬け

ここのところ、相棒が会社からたくさんの野菜を持ち帰ってくる。職人さんが週末菜園で作っているものらしく、出来過ぎたものは籠一杯に分けてくれるという。どれも形はいびつだったり、大きすぎたりはするが、野菜の味がしっかりしてとても美味しい。
街っ子育ちの私には畑とは無縁だった。けれど、父方の祖父母の家へ行くと少しだけ土に触ることが出来た。
小さい頃、お正月や夏休みはどこへ?と聞かれて、「東京のおばあちゃんのところ。」と言って、詳しくどこかと聞かれて、「埼玉。」と答えると、「東京ちゃうやん!」と言われて、ムスッとしたのを覚えているが、今ならその「東京ちゃうやん!」の意味は少なからず分かる。しかし、関西の子供からすれば、東京方面へずっと車を走らせて行くわけで、大差なかった。
ずいぶん昔は本当に東京の下町で酒屋をしていたのをうっすらうっすら覚えているが、そこから埼玉へ引っ越ししたのだ。引っ越した当時は殺風景な平野にぽつぽつと真新しい家が並んでいただけだったのに、私が大学生になる頃には、祖父母の家を見失うほど密に家が建って狭々しかった。
祖父は元々農家の人だったんだと思う。小さい頃の話をする時、桃や柿の木の話を懐かしそうにしていた。祖父は家の近くに畑を借りて野菜を作っていた。土がふかふかで真っ黒で、できる野菜はとても美味しかった。祖父は小さく細身で飄々とした人だった。野菜作りも気負いがないように見えた。朝一番、野菜の収穫に行き、その野菜で具だくさんのお味噌汁を祖母が作ってくれた。祖母は料理がきっと上手だと思うが、三人兄弟の長男の父が帰るといつもトンカツだった。基本、揚げ物だった気がする。
中でも料理好きの母が絶賛していたのは、祖母のぬか漬けだ。祖父の作ったキュウリやニンジン、ナスなどの野菜を漬けてある。床下の収納庫にしまってあるぬかを世話する姿が印象的だった。何度もぬか床を分けて貰って帰ったが、母は夏の暑い日の手入れを忘れてダメにした。今は小さめのタッパーで漬けて、冷蔵庫で保存するという知恵を身に着けた。
祖母は結構な年になるまで、化粧品の訪問販売売上トップの実績を誇っていたらしい。それだけに、人とのコミュニケーションには優れていたようだ。ぬか漬けの味を探求するあまり、漬物屋さんにぬかを美味しくするには…と話を聞いたら、少し分けてくれたと嬉しそうに話していたのを覚えてる。そうして、継ぎ足し継ぎ足しで成長した祖母のぬかで浸かる漬け物は本当に美味しかった。
祖母が亡くなると祖父は後を追うように逝き、それから10年後、父も逝ってしまった。元々、お正月と夏、冠婚葬祭でしか会っていなかったが、疎遠になった父方の親戚にはもう会っていない。この先、会うこともないだろう。毎週末顔を会わせた母方の祖父母に比べると、思い出はとても少ない。その上、父方の親戚にはあまりいい記憶がない。私は一応最初の孫ということで、小さい頃の記憶はそう悪いモノばかりではなく、むしろよく可愛がってもらっていたと思う。昔の写真を見ればよく分かるし、鮮明ではないが、見ればその時のことを思い出せる。私が大人になるにつれて人間模様が見えてしまい、少しづつ印象は変わってしまった。私が唯一好きだった二番目の叔父が若くして亡くなってからは最悪だった。…嫌な記憶を掘り出す前に蓋を閉めようと思う。
飄々としているせいでそう見えただけかもしれないが、祖父は愛情が薄そうだった。作る野菜が美味しかったのだから、そうでもなかったのかもしれない。本当のところはどうだったかは分からない。祖母の愛情は醜いほど深かった。特に長男の父に対しては特別だった。父はどちらかと言うと、祖父に似ていた。天然パーマのくりくり毛とがっしりとした体格は祖母に似ていたが、年々祖父に似てきて、死に顔はすっかり祖父だった。
土のついた立派な野菜を見て、久しぶりに父方の祖父母を思い出した。
減ってきたぬかを継ぎ足して、野菜を漬けようと思う。


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