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⓯瀬戸内寂聴さんのこと➆ヌード撮る? 寂聴×アラーキーの出逢い

 1995年の4月半ば、僕は撮影ロケで京都にいた。アラーキーこと写真家荒木経惟さんの、前年の夏から始まり秋、冬と撮影してきた最後の春のロケ。京都の一人の女性を主人公にしながら、行き当たりばったりで出会う女性たちも登場してくるドキュメント要素のある作品集で、後に『ラヴ・ラビリンス 京都白情』という写真集になる。もちろん登場する女性たちは皆ヌードになった。
 その頃の荒木さんは、ポルノ系雑誌で繰り広げた過激なヌード表現で注目され、その他に愛妻もの、ノスタルジックな東京の街撮りなど、あらゆるテーマを虚実取り混ぜた「私写真」という概念を引っ提げ、メジャーシーンに躍り出て人気絶頂期にあった。それにアラーキーにヌードを撮ってもらいたいと願う一般の女の子たちが目白押しで、いったいこの現象はどういうことなんだろうと、横から見ていても不思議でしょうがなかったのだが、この京都ロケに登場する女性たちもそういうアラーキーファンだった。
 決まった撮影予定があるわけでなく、荒木さんの気の向くままという荒木さん独特の撮影スタイルなので、そんなロケ中に、僕は瀬戸内さんに登場してもらったらと考えた。荒木さんも「寂聴さん、撮りたいよー」と言うし。

荒木経惟 写真集『ラヴ・ラビリンス 京都白情』
祇園祭りの夕闇のなかで出逢った京女との逢瀬。古都の四季に織りなす煩悩の究極!

 寂庵に電話をいれると、瀬戸内さんも在宅されていて、ぜひいらっしゃいとの返事。瀬戸内さんも荒木さんのことはよく知っていたようで、寂庵を訪れるや、「ヌード撮られちゃうのかしらー」と妙に大はしゃぎで出迎えられたのである。瀬戸内さんはアラーキーに限らず、変わった人や話題の人、スキャンダルで追われている人などの訪問を大歓迎する。いや、そういう何かを抱えている特殊な人こそ、自分の所に来るべきだと思っているようなふしがあった。
 尼さんのヌードなんて、荒木さん的には格好のテーマだけど、さすがに冗談とはいえ瀬戸内さんに迫られて、荒木さんがタジタジとなって「いや、ヌードはまたの機会で……」と照れてしまっていたのが可笑しかった。
 この時の二人の出会いは、後に週刊新潮のグラビア連載「寂聴×アラーキー 新世紀へのフォトーク」(1998年7月9日号~2000年8月10日号)につながる。その連載最初に、瀬戸内さんが書き記しているのが以下の文章。

「親愛なるアラーキーさま……あなたが、見かけによらず恥ずかしがりやで照れ屋なのは初対面の日に私は一瞬で見抜きました。ワタシとあなたはその日がはじめてでそれ以後一度もお逢いしていなかったのでしたね。思えば不思議ですね。何十回逢ってもどうしても、顔も名前も覚えられない人があるというこの世の中で、たった一回逢っただけで、こんなに気の合う仲の人がいるとは不思議です。
 あなたはあの日、新潮社のワタクシ好みのハンサムな若い編集者のMさんと一緒に來庵されました。あなたが寂庵へいらっしゃりたいご意向と彼から申し入れがあったのでした。
 あなたは黒いスーツに黒めがねでお見えになりました。Mさんが、実はあなたがワタクシを撮りたいおつもりだと小声で伝えました。
『あ、そう、それでヌード?』
 ワタクシがあなたに向って申しましたら、あなたの全身に羞恥が走り、世も身もない感じで、
『い、いや、それはそのうちに』
 と、しどろもどろでしたね。それでワタクシは、あなたはほんとに純な可愛らしい人だと思ったのです。」

 まさにこの通りの出会いだった。「ワタクシ好みの若い編集者のMさん」という所だけは記憶違いのお世辞だけど。

写真集『ラヴ・ラビリンス 京都白情』から

 また別の機会に、撮影で知り合った京都のSMクラブで真性M女としてSMショーに出ていた女の子が瀬戸内さんのファンだと言うので、寂庵に連れて行ったこともある。そんな時、瀬戸内さんはホントに上手く彼女たちの心の内を聞き出して、楽しい歓談の場にしてしまい、いつのまにか小説を書くことを勧めているのだ。ちなみに真性M女として働いているような風俗嬢にはインテリや文学好きが多い。

 瀬戸内担当になって、ある時、現役を退いた人も含めて各社の担当編集者たちが集まる会の末席に連なったことがある。人気作家たちには各社担当編集者の集まりというのがよくあって、忘年会やゴルフコンペとか定期的に行われることが多いようだけど、瀬戸内さんには定期的なものはなく、その時も、昔なじみのバーのママが引退するというので皆で集まったというものだった。出版社を定年で辞めた元担当者たちも含めて、瀬戸内さんはまるで同窓会のような、気の置けない仲間たちと実に楽しそうで、和気藹々としたいい会だったけれど、僕が面白いなと思ったのは、そこには出版社で偉くなった人が誰一人いなかったことである。皆、現場の編集者として編集者人生を終えた人たちばかり。現役も、僕も含めて偉くなりそうな人はいないようだったし。
 作家によっては各出版社の幹部に囲まれることを好む人たちもいるが、瀬戸内さんにはそういう志向はまったくないのが分かったし、僕はそれを好ましいなあと感じたのである。

 ともあれ、そんなふうに瀬戸内さんと打ち解けた付き合いになりながら、そう、大事なのは短編全集の推進である。最終的な収録作品の選定作業としては、271作品を発表順に読んでいってメモを取りながら収録基準を考えていくことになるし、全短編作品を読む作業自体、京都の瀬戸内さんのところにある書籍雑誌を使わせてもらうのが一番いい方法ということははっきりしたのだが、その前に、まず正式に企画を通さなければならない。そのための下準備に、95年はほぼ終始してしまった。そして作品をひたすら読んでいくということが、僕にとっては大変な作業だったのである。本を読むことは子供のころから好きで濫読してきたけれど、仕事としての文芸編集者の難しさにぶち当たったのでした!

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