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⓰瀬戸内寂聴さんのこと⑧文芸書籍の編集

 書籍の文芸編集者の仕事とは、まず小説本の編集刊行である。
 書下ろしや雑誌、新聞に連載された原稿をまとめて、文字組(1行の字数や行間、書体などを指定する)やタイトル、目次、章立てなど書籍の形に必要な要素を指定して印刷に回し「ゲラ刷り」を出し「初校」とする。
 これを校閲に回し、初校の校閲が終わったら、たくさん出てくる校閲からの疑問に対して、担当者として解決できる点には赤字を入れる。さらに著者に対して、修正した方が良い点などを付言して著者校に出す。著者が疑問点などを解決し、さらに修正してきたりするので、それをチェックして、その赤字の入った初校ゲラを印刷所に「要再校」として出す。

 再校ゲラが出てきたら、また校閲に回し、同じ手順で進める。直しが少なければ、三校ゲラで責了(多少の赤字があるが印刷所の責任で直して校了にする)あるいは完全に直しのないゲラを校了として、最終的な印刷に回すのである。
 但し僕の書籍編集の少ない経験だが、三校で校了になることはまずなかった。作家によるが、四校、五校までとらないと決定稿にならない場合が珍しくない。

 新潮社の場合、校正ではなく「校閲」。つまり字句のチェックレベルではなく、内容そのものまで詳しく調べてチェックしていく。
 用語や字句の表記の統一、例えば「いうこと」「言うこと」「いう事」「言う事」などの使い方の区別をはっきりさせて表記を統一したり、漢字表記なのかひらがな表記なのか、文法的に正しい表現か、記述内容の時系列に矛盾がないか、そういうチェックは当たり前で、歴史に関係する記述などは、その事実確認から、解釈の妥当性やなんと研究者によるさまざまな異説までも調べて紹介してくる。そういう校閲からの指摘で著者が内容を変えてくることも珍しくはないのだ。

 新潮社の校閲部というのは出版社のなかでも特別信頼度の高さで名を轟かせていたから、調査能力、専門的知識など学者レベルの人たちがけっこういたし、人員も50~60人は常に在籍していた。
 芸術新潮時代も、担当の雑誌校閲者から出てくる疑問の数には凄いものがあって、編集者はそれを一つ一つつぶしていくのだけれど、よく校閲からの疑問に対して、「こんな疑問出してくるなよー」なんてブツブツ言いながら赤字入れの作業をしたものである。そんな作業を月刊誌は一カ月単位で済ませていくが、書籍は数カ月、場合によっては数年がかりというものもある。

 僕の場合、14年間月刊誌の編集部で、月単位で生きてきた。
 企画段階から入れれば数カ月間取り組むテーマであっても、具体的な編集から入稿作業は、とりあえず、ほぼ一カ月で決着し終えるという繰り返し。それが出版部に来て、何カ月単位や年単位で作業をするという変化になかなか慣れなかった。
 書籍の内容と分量によるが、初校が出て、校閲から上がってくるのに数週間。それをチェックして著者に戻して著者校にまた時間がかかる。著者によるけど。
 そして再校、三校と続くと、初校の時には解決したり修正したりしたところはしっかり記憶していても、時間が経って、だんだん記憶が怪しくなってくる。赤字がかなり入って表現や内容自体の印象も変わってきたりするのだから、また一から読み直して記憶を再生させて、本当に良くなったのかどうか検証しなければならない。そんな書籍編集を、同時に何冊か並行して担当していたら、元々記憶力が悪い僕にとってそれがどれだけの苦行だったか!
 ベテラン文芸編集者たちが、どのように対応していたのか、実はよく分からなかった。出版部は共同作業ではなく、一人ひとりが単独で作業をしているので、隣の席の人が何をしているのかもよく分からない。雑誌編集部から来た僕としては、慣れるまでけっこう孤独感に襲われたものである。
 要するに、僕は文芸編集者には不向きだったのです。残念ながら。

 そんな僕が、瀬戸内さんの自選短編全集の基本作業をする。
 271編のリストアップされている短編小説を全部読んで、たたき台の構成案を作成しなければならないのだから、こんな経験は今後二度とないだろうと思った。二度としたくないとも思ったけれど。
 そもそも、271編のリストが作成されていたことが凄いことだと思う。もしも僕が短編作品のリストアップからやらなければならないとしたら、多分お手上げだったと思う。
 これは瀬戸内さんの長年秘書を務めていた長尾玲子さんの労作。彼女は瀬戸内さんの従妹の娘にあたり(説明が面倒なので、通称で姪ということになっていた)、学生の時から、親戚の気安さもあったのだろう、いろいろな雑用から資料集めなど、瀬戸内さんの裏方を務めてきた。子供の頃からの瀬戸内さんとの付き合いについて、2022年に『「出家」寂聴になった日』(百年舎刊)を上梓していて、これがなかなか興味深い内容。長尾さんは、学生の頃はロクなアルバイト代もなく、たまにご馳走してもらったり、洋服を買ってくれたりが、その代償だったらしい。その辺りのやり取りなど、瀬戸内さんの本当の内向きの顔が見えてきます。

瀬戸内さんの秘書・長尾玲子さん作成の短編小説全リスト これがあってどれだけ助かったか!

 ともあれ、このリストでまずは手に入る単行本収録作品などから読んでいって、ある程度全体を感じ取れたところで、企画書にして、出版部の企画会議を正式に通した。それが1995年のことであった。
 自選短編小説全集の構成については、何度も作り直した。基本的には純文学的な作品中心。当然それは瀬戸内さんの意向でもある。
 最初は4巻構成で、各巻の主な収録作品をとりあえず選んだ上で、それら作品のテーマやタイプによって以下のように考えてみた。各巻ともかなりのページ数になった。

➀自伝的私小説
夫と娘を捨て独自の愛を生きてきた主人公。著者前半生を激しく描く瀬戸内文学の核心。
➁回想の中で
波乱に満ちた長い人生の旅路。血の絆や男女の深い縁で結ばれた人々との出会い、別れ、そして死。
➂愛に求める
人は愛に何を求めるのか。愛によって何を得るのだろう。愛の果てに、人生の岐路でざわめく女の心理。
④愛のかたち
すべての愛はふたつとない。女の愛、男の愛、からまる愛。愛のすべてと愛の普遍を描く女と男の物語。

 次に、6巻構成で考えみた。
➀私小説・自伝
➁私小説・回想
➂私小説・心境
④初期短編
⑤中期短編
⑥後期短編
自伝的、回想的、心境的な私小説群と、そこに入りにくい小説は時系列で初期、中期、後期に分けるというもの。
 
そして企画書としての最終案は、次のような6巻構成にした。
➀私小説/自伝
婚家からの家出、離婚から作家・小田仁二郎との半同棲、そして家出のきっかけとなった年下の恋人との再会と新たな同棲。作家としての成功とともに訪れた恋人との別れ。瀬戸内晴美・寂聴の激しい前半生をモチーフとした自伝的私小説の代表作を時系列で編集。
➁私小説/回想
北京での新婚時代、終戦帰国、父母それぞれの死、祖父の思い出、別れた夫の周辺の人々を回想した作品群。
➂私小説/草筏
70歳を過ぎて、過去のさまざまな出逢い、別れ、因縁を超えたところに生まれた著者の境地を託した連作集。単行本『草筏』をまるごと収録。
④女の性
男女のさまざまな愛の場面に現われ出る女の業と性。不可思議にも見えるその心理をテーマに描いた作品群。
⑤愛のかたち
男女のさまざまな愛のかたち、男と女の愛の光景を中心にした作品群。
⑥愛の虚空
愛の果て、人生の果てに辿り着いた透明感漂う作品群。
 
 各巻に収録する主な作品をリストアップしたが、僕自身がまだ読んでいない作品も多数あり、あくまでそれは案に過ぎない。各巻のテーマ構成自体も最終的には変わる可能性がある。瀬戸内さんとも相談しながらのものだったが、企画を通すためのプランである。
 こうして「瀬戸内寂聴自選短編全集」の企画は、95年の秋、出版部の企画会議で正式に承認された。
 ここから本格的な収録作品の選定作業に入る。新たな気持ちで、全短編作品を読んでいくわけで、寂庵に所蔵されている書籍、雑誌、コピーなどの用意が整い、96年の2月と3月に、京都に滞在して発表順に作品読みに専念することになったのである。
 当初は京都のホテルに滞在して作業するつもりだったのだが、瀬戸内さんが源氏物語の現代語訳に集中するために使っていた嵐山にあるマンションが、現代語訳の作業がほぼ終わって空いているとのことで、「そこに泊まり込んでやりなさいよ」と言われた。しかも食事は寂庵のスタッフが届けるからと申し出られたのである。

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