【#11】食に対する意識の変化。
▶︎命を繋ぐ食事
それが、私が育った家庭環境だった。
祖父母は農業(メインはいちご)を営んでいたので
加工品ではなく、自宅の畑で採れた旬の食材が
常に食卓に並べられていた。
食材の旨味を引き出すために味付けは薄味で
食事中の会話といえば
その時の天候や手の加えようで
食材の味や質がどう変化しているのかなどが
話題になることが常だった。
しかし、結婚し専業主婦となった間は
食材を意識した丁寧な食事をしていたものの、
その後、離婚して働きにでて
時間に追われ出すと、
栄養のあるものをいかに簡単に
美味しく食べられるか?
に重きを置くようになっていた。
さまざまな便利な調味料が出回っているし
それらを利用する頻度は上がり、
素材そのものを味わうというよりはむしろ、
調味料の味つけが、食事の味になっていたように思う。
今回、娘が拒食症になったことで
改めて、私自身も食に対する意識と
食生活を見直すキッカケになり
自分の育った環境がいかに豊であったかを
思い知らされたように思う。
そして娘も次のように意識が変化している。
▶︎味わう=素材を感じること
以下、娘の日記の転載。
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拒食症になる前は 、
食事の際、自分が何を食べていて、どういう味がするのか
じっくり感じたことはほとんどなかった。
単に口に入れた時の第一印象で美味しさを判断していた。
しかし、拒食症になり、市販の食品に含まれる成分や
食材が持つ栄養素を過剰に気にするようになって、
極力体に良いものが食べたいという思いから
無加工の食材や添加物が少なく、
調味料の使用を抑えた食品しか食べなくなったことで、
食材そのものの本来の味を知り、
それが美味しいと感じるようになった。
ただ、拒食症真っ只中だった頃は
本質的に味わえていたわけではなく、
あくまで「自分が許容できるもの」に限って
素直に食べた時の感覚を受け入れられていた。
というのも、最初から高カロリーとわかっているものや
脂質が多く含まれている食材に対しては、
たとえ無添加なものや、素材を生かしたもので
本当なら美味しいと思えているものでも、
最初から体に悪いと決めつけていたので
素直な感覚は完全に無視していた。
それが、拒食症の思考がだんだんと薄れ、
ほぼどんなものでも食べられるようになった今、
たとえ高カロリーでも美味しいものは
素直に美味しいと思えるようになり、
本質的に食を楽しみ、味わえるようになった。
そしてはるかに感じ取れる味覚のヴァリエーションが増えた。
これは、拒食症になり、本質的ではないにしろ
“味わう”=「素材を感じる」ことが習慣化したからこそ
得たものだと思う。
形、色を目で見て、その場に漂う香りから味や作り手を想像し、
じっくり噛んで食感、風味、舌触りを確認する。
最後は飲み込んだ後の余韻、後味を感じる。
ここまでが私の中で「食べる」の一連の流れになっている。
だから、一つ一つ丁寧に手作りされた料理には感動するし、
逆に、工場の機械で無機質に大量生産された異様に形が整った食品に
違和感を持ったり、攻撃的に感じたり、悲しくなることもある。
対峙した食品、料理に対してこのような感情を持つようになった私は
今が人生で一番食を楽しめていると断言できる。
「食べる」という行為には五感を使うということが身に染みて分かるし、「美味しいとは何か」の本質を楽しみながら学ばせてもらっているように思う。そしてそこに幸せを感じる。
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▶︎五感を使う
上記の娘の転載日記にもあるように
”食べるという行為には五感を使う”とあるが
それは食材を選ぶところからも言えることで
手に感じる質感・重さ・形だったり
ふと香る香りだったり、色の鮮やかさだったり
見た目の鮮度だったり
調理の際にも切る行為や、皮をむく行為からも
五感を使って食材を名一杯感じることができる。
食材に意識を向けることは
より丁寧な食生活で心も豊かになると
改めて実感している。