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ドリッパーとコーヒーミルが我が家にやってきた!豆はまだない
カフェインがかなり効いてしまう体質の私。
コーヒーは午前中に1杯までと決めていて
コーヒー好きレベル、10段階中2くらいだと思ってた。
そんな私が自分の意思でこんなものを
家に置きたい日がくるとは思わなかった。
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コーヒーと出会ったのはいつだろう。
身近な伯母がコーヒーが好きで
自分で豆を挽き美味しく飲むのがこだわりだった。
昔から伯母の家に入るとほんのり不思議な外国のような匂いがする。
ハンガリーに留学して人形劇を学んだり
フィリピンの山岳民族を訪れて支援したり
ちょっと変わった旅好きな伯母から私は
広い世界を楽しむきっかけをいろいろもらってきた。
今も旅が大好きな私の中で、
旅情とコーヒーの香りがかなり早い段階でセットになった気がする。
だけど、そこまでこだわるほどのもの?
黒くて苦くて、でもミルクと砂糖を入れたらなんか美味しい飲み物。
それ以上の味の違いは私にはいまだに分からない。
「コーヒー牛乳」がなんだかんだ一番美味しいくらいの偏差値のまま。
旅好きな私はその後海外旅行の添乗員という仕事をすることになる。
そしてツアーでよく行ってたイタリアでBARという文化に出会う。
カウンターでコインでちゃちゃっとコーヒー買って出勤前に飲むのが当たり前なイタリアの生活。
自然と私も、コーヒーを口にすることが増える。
相変わらず豆の違いは分からないけれど
エスプレッソ、ラテ、カプチーノ、アメリカーノくらいなら
何か違うことは分かるようになった。
そして朝に気軽に一杯のコーヒーを立ち飲みできる場所が
街中にあるイタリアいいなぁ、という感慨が湧いた。
朝にコーヒーを飲む、という行為はなんか好きだ。
カフェインの効果という意味だけじゃなく
なぜだか元気になるし気持ちが引き締まる。
それで、日本でもお手軽にインスタントで
毎朝コーヒーを飲むようになった。
結婚してからは夫とお互いに「コーヒー飲む?」て聞き合って
早起きした方が相手の分もいれる
小さなコミュニケーションツールでもあった。
そんな中40代も半ばになり、体の酸化を気にするきっかけがあった。
尿を確かめてみるとわりと酸化してることが分かった。
コーヒーは良くないらしい
特にインスタントが良くないらしいと聞いて
その朝の一杯、ひとまずやめた。
でも、コーヒーが無い朝は寂しい。
お茶を淹れるのもいいんだけど
やっぱりコーヒーを飲んだ時の
あったまる感覚や「よしっ」という感覚とは違う。
いつの間にか、朝はコーヒーが欲しい体になっていた。
ゆるい心地よい依存。
無くてもいいけど、あるともっと嬉しい。
そういう位置の依存は豊かな感じだ。
コーヒーと共に暮らしたい自分がいる。
じゃあ
インスタントじゃないコーヒーだったらいいよねと
朝何か用事を作ってコンビニに行き
コンビニカフェのコーヒーを買ってみたりもした。
夏の間はけっこうそれがよくて。
早起きしてコンビニに行きアイスコーヒーをくいっと飲んで
コンビニのゴミ箱に捨てて小走りで帰ってくる。
朝の運動を兼ねた爽やかな習慣になった。
お金かかるけど、ま、いっか。快適快適。
と思っていたが・・・
秋が深まると、ホットがのみたい。
熱いコーヒーはくいっと飲み干せない。
飲みながら歩いて帰るのも乙なんだけど
ゴミが増える。これまた嫌だ。
やっぱりダメか。詰んだー
と思いかけていた折、
よく行く近所のスーパーの向かいにある
「にじいろコーヒー」さんが目に入った。
いつもコーヒーの良い香りが漂っている店だなぁとは思ってたけど
店内をチラっと覗くと喫茶店ではなく
コーヒーにこだわりがありそうな店主が
美味しい豆を自信たっぷりに売っています!という店構え。
「豆を買いに行く人=コーヒーにこだわりある客」のための店。
コーヒー好きレベルが10段階中2の私にはご縁がない店。
むしろ、誰が行くんだよく潰れないな、という
位置付けにあった遠い存在だった。
それがこの夏、その店についに足を踏み入れることになった。
「コーヒーソフトクリーム」
猛暑でひーひー言いながら通りかかった時に見つけた魅力的な文字。
試しに食べてみたらこれが絶品!
店主自らいろいろ配合して作ったミルクソフトに
こだわりのコーヒーパウダーを混ぜたソフトクリーム。
コーンの部分も真っ黒で見た目も珍しい。
ほどよく苦いからさっぱり食べれて冷んやり甘い。
こんなおしゃれなものが近所で食べられるのめちゃラッキーじゃない?
そして、ソフトクリームを買いにレジに立つと
レジ横に、50音順で区切られたカードが沢山置かれた箱があった。
要するに、豆を買いに来る常連さんたちのポイントカードを
名前順にレジ横に置いてあるというわけ。
ポイントカードって普通、財布に入れて持ち歩くものじゃないの?
それをお店に置いておこうってことは
よっぽど定期的に通っているっていうことでしょう。
それが数百枚ごっそりそこに置いてあるということは
「誰が行くんだよく潰れないな」どころじゃなかったんだ。
街の人たちに必要とされ愛されてきた店なんだ。
そして、コーヒーをそこまで愛する人がこんなに沢山身近にいるんだ。
それは新しい気づきだった。
それでもまだ、私もそうしよう、という発想にはならなかったんだけど
「この店は潰れないんだ。ずっとここにあり続けるんだ。」
と、私のローカルマップにしっかりと存在感を植えつけた。
ちょうどその頃、小学生の長男が
学校の生活科で「まちたんけん」に出かけ
にじいろコーヒーさんにインタビューしてきた。
「なんでにじいろなんですか?て質問したら
子どもが10年前に癌で死んじゃってね
その子が虹が好きだったからなんだってー!」
下校後、ポップに明るく報告してくる長男。
え、そ、そうだったの!!と私はドキドキした。
「コーヒーのためならどこにでも買い付けに行きますよ」
「男は黙ってコーヒー」
「うちのコーヒー美味しいでしょ?」ってなヲタク的喜びを漂わせながら
(私の個人の感想です)
いつも店に立ってるあのご主人
実はそんな想いを胸に秘めながら
あの看板を毎日眺めてるのか・・・。
ぐっときてしまった。
そして、ついにつながった。
私だって、自分で豆を買って
家で挽いて
ドリップコーヒーを淹れて飲めばいいじゃないか!
それは自分のやることではない
なぜなら私は10段階の2くらいしかコーヒーを好きではないからだ。
と決めつけてたけど
BARに憧れ、毎朝コンビニカフェに通い
My coffee をどこかで求めているこの感覚
もう10段階中6くらいにはなってるよ!
2の人が豆買うのは早まってるけど
6ならアリでしょ!
だってやっぱり
毎朝「コーヒー飲むー?」のやりとりをまた夫ともやりたい。
朝一で、ヤカンをコンロに置いて沸かす。
この動作に、妙に癒される自分がいる。
それをコーヒーのためにやりたい。
冬も夏も迷わずやりたい。
その一手間なら全然苦にならない。
むしろ、朝起きた時に、まずそこから1日が始まる。
って考えると、すごく、幸せだ。
で、だったら、あの店の豆で飲んでみようじゃないか。
ってなわけで「違いの分からない女」の元にやってきたこの道具たち。
劇的にコーヒーにハマった!みたいな一つの出来事はなかったのに
小さな小さなことの積み重なりで
我が家になぜか、これがやってきたことがなんだか面白い。
とても人生らしい。
「味はよくわかんない」
と言いながら、これからはお客さんにもコーヒーを淹れるのかも。
そしたら案外コーヒー好きな人がいて
いろいろ教えてもらったりするのかも。
5年後には自分が豆を買い付けに行ってたりするのかも。
それか逆にもうめんどくさくなって
「コーヒーミル誰かもらってくれない?」とか言ってるのかも。
そのどちらでもなく、淡々とにじいろコーヒーに通い続けてるのかも。
どんな風になってても、面白い。