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絶対的な味方って、どういうことだろう

先日のおばた わたるさんのnoteを読んで、心がざわつきました。

わたしは、
母のことを誰よりも尊敬して、誰よりも感謝しているかな、
子どもたちの絶対的な味方になれているかな。

母のこと、子どもたちへの想いでざわついたのでした。

誰よりも尊敬し、誰よりも感謝する

おばたさんのnoteはこの一文から始まります。

僕は母のことを誰よりも尊敬して、誰よりも感謝している。

すごいですよね。
「誰よりも…」こう言いきれるのは、本当にすごいことだなと思います。

これを読んで、わたしも子どもたちにこういう風に言われる存在になりたいととっさに思いました。「僕は母のことを誰よりも尊敬しているし、誰よりも感謝しているよ」と言われたら、どんなにうれしいことか!

でも、わたしは?
翻って自分のことを考えたとき、
わたしは自分の母に対してこんな風に言えるのかな。

母に対し「感謝」しているとは言えると思いますが、「尊敬」というところは少し引っ掛かりを覚えました。さらに「誰よりも」なんて・・・。

「尊敬する」とは

なぜ「尊敬」に引っかかったのか。
そもそも「尊敬」とはどういう意味なのでしょうか。

Weblio辞書によると、「尊敬とは、(他人の)人格や行いの素晴らしさに感じ入り、頭を下げるような、仰ぎ見るような、見習いたく思うような気持ちになること。および、そのような気持ちのこと」とありました。
そんな大仰なことを言われると、またもや「尊敬」に引っ掛かりを覚えてしまいます。

しかし、「尊敬」を英訳したときに使われる’respect’の意味を目にしたとき、少ししっくりとしました。
respectの語源をみると、re(再び)+spect(見る)と分解され、「二度見する」「振り返る」という意味になるようです。さらに言うと、「その対象の存在を重視し、大切にし、注意を払う」という意味合いをもちます。

母との思い出をふり返ってみると・・
◆学校に行きたくないと言うわたしを、何も言わずにぎゅっと抱きしめてくれた
◆不安な入院生活で早く帰りたいと泣くわたしに、大好物のコーンスープを片道20分かけて自転車で毎日届けてくれた

子どもの頃、母がわたしにしてくれた数々のことを思い出されました。

「尊敬」が「その存在を尊重し、大切にすること」という意味であれば、やはり母という存在を大切に思うし、わたしは母を「尊敬(リスペクト)」していると言えると思えました。

ただ「誰よりも・・」と言いきるには、その後の人生においていろいろとありすぎたので、まだ少しかかりそうです。母にもっと思いを寄せる必要があるかもしれません。

「絶対的な味方」とは

また、おばたさんのnoteでは、次のように書かれています。

絶対的な味方がいるのは本当に心強い。
自分がどんなところへ行っても最終的には帰ってこれる場所

これを読んで、またもやわたしは「わたしも子どもたちの絶対的な味方になりたい」と思ったものの、「絶対的な味方」というものが正直あまりピンときませんでした。

「どんなことがあっても応援してくれる存在」とも、おばたさんはnoteに書かれていましたが、わたしははっきりと思い描くことができませんでした。

先日、大学院生と大学生のお子さんがいる先輩ママと久しぶりにお話をすることがありました。現在、お子さんたちはそれぞれ一人暮らしをしていらっしゃるとのことでした。

彼女によると、子どもたちの年齢的成長による心理的距離に加え、一人暮らしが始まったことによる物理的距離、そして、週にあるいは月に数回電話で話す程度という時間的距離も出てきて、子どもたちとの間にとても大きな隔たりを感じるとのことでした。
「わたしが知らない世界を子どもたちは持っていて、それがどんどんと大きくなっていると痛感する。でも、それが独り立ちでもあるので必要なことなんですけどね」とも。

続けて彼女は次のように言いました。

だから、わたし、
「ガソリンスタンド」になりたいと思うようになったの。

ん? ガソリンスタンド?

これまでは、子どもが困ったときにすぐに差し出してあげられるように、ガソリンタンクを背負って子どもの後ろを伴走していたの。
子どもが疲れた時にすぐにガソリンを補充できるようにと思って。

でもこれからは、伴走ではなく、ガソリンスタンドになりたい、ならなきゃいけないと思うようになったの。
子どもたちが疲れたときに、いつでも帰ってきて元気を補給できる場所。
ずっとそこにある場所。

これを聞いて、はっとしました。

ガソリンスタンドになりたい

子どもが小さいうちは、しっかりと付き添って、つまづいたときにすぐに手を差し伸べるようにそばにいることが大切です。
しかし、子どもが成長し、思春期を迎え、しっかりと一人の人格をもった人間となってきたとき、親はそれを受け止め、子どものそばという立ち位置を手放す時期なのですね。

子どもたちは成長していっているのですから、親(わたし)自身も成長(変化)していかないと。

親というのは、子どもがいくつになっても、自身の心の中で子どもたちが占めるパーセンテージや優先順位はとても高いと思いますが、子どもからしてみれば、自身の中で親が占める割合は下がっていきます。それはそれで健全なのです。だって、われわれ親自体もそうだったんですから。

わたしが思う「絶対的な味方」とは、疲れたときに帰れる場所。つまり「ガソリンスタンド」のような存在になるということかなと考えると、イメージできるようになってきました。

子どもたちがいつでもエネルギーを補給できる「ガソリンスタンド」。しかも、「いつでも補給できる」というのがミソなので、「24時間年中無休のガソリンスタンド」になりたいと思えてきました。しかも、セルフではなく「有人」の。

でも、わが家の小学6年生の次男くん!
もう少しだけ、母がガソリン背負って追いかけるのを許してね。もう少しだけ。


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