私はライトワーカー?(汗)
対人支援の仕事をしている人をライトワーカー、光の仕事人、なんてスピ系の人は言いますよね。
ライトワーカーとは「この世界の人々を苦しみや不安から救い出して、癒しを与えるために生まれてきた人」という意味です。いかにもスピっぽい言い方ですね。
壮絶な体験をした人は、その体験をどう乗り越えたかを伝えていく役割がある、ということでしょう。
たしかに傷を負った人が、自分と同じような傷を負った人を助けるのは必然のように思われます。
さらに、この仕事をする為にこれまでの人生はあって、そこで体験したことは全て必要なことだった、という人生の帳尻合わせもできて、納得感があります。
しかし、自分が苦しんできたから苦しんでいる人の役に立てると思うのは短絡的です。
人を支援する前に自分がたくさん癒やされた体験が必要です。
自分の傷を癒やしてない支援者がクライアントを傷つけるのを、これまでいっぱい見てきました。
ですから私は自分の問題を解決するまではカウンセラーはやらないと自分と取り決めをしていました。
ところが。
二十年、自分自身の治療に専念してきて、この三ヶ月ぐらい、急にぱたぱたと人生の問題が片付いていって、十月に両親との問題が解決したのです。
いまマイナスからゼロの地点に辿り着いて、これからは自分の望む人生をはじめる、そんな地点に立っています。
さあ、やっと本格的にカウンセラーとして活動できるところに漕ぎ着けたつもりでした。
が、自分の心が平和で満たされたら、傷ついた人を癒やすことに急に興味がなくなりました。ほんとに。
それまでは傷ついた方たちと一緒に幸せになりたいと思っていたのに、です。
ふと、知り合いのカウンセラーのことで思い出したことがあります。
彼女は結婚してしばらくすると、クライアントがいっぱい居たのにもかかわらず長期休業宣言をしました。
そしてブログやSNSのアカウントをすべて削除したのです。活動の痕跡をぜんぶ消してしまうということは廃業したのだろうと想像しました。
彼女はおそらく心が愛と平和で満たされてしまって、カウンセラーをやるモチベーションが下がったのではないでしょうか。
私がまさに、そうだからです。
モチベーションを保ち続けるには、病を治してしまわないで、残しておいた方がいいのでしょう。
私はそう思います。
病はうまく共存さえすれば悪いものとは言い切れません。
病が治っていく過程で、人は創造的な仕事をする場合があるからです。
仏教の開祖シャカは、愛着の傷を引きずって放浪の旅に出た末に悟りをひらいたし、ジョン・レノンが幸せな子供時代を送っていたら名曲「イマジン」も生まれなかったでしょう。
芸術家は苦悩があるから仕事ができると言えます。皆んなではありませんが。
治療家も傷を直してしまわない方がいいのかも知れません。
傷が治った私は、もうライトワーカーではないかも。
これからは傷を癒やす方向から、も少し違う方向を目指すようになるかも知れません。
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