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成就しなかった悲しみは、いつまでも残る
成就しなかった思いは、いつまでも残る。
成就しなかった愛に、人はいつまでも執着する。
そんなことをつぶやいてみたくなったのは、最近よく見聞きする毒親とその子どものニュースで、毒親と絶縁することが解決、とした話を聞いたからである。
しかし!と思った。
毒親問題のゴールはそこじゃない。絶縁することじゃないのである。
たしかに回復の過程で、親への怒りと自身の不運を嘆くプロセスがあり、その途中で親と物理的に距離をおいて身の安全をはかる必要がある場合もある。
自分を守るために当然ともいえる。
だけど、親の影響の及ばない遠いところに逃げたとしても、傷は癒えるものではないし、こころは親の支配から脱出することはできない。
絶縁状を叩きつけて会わないようにするのは、激しい執着の裏がえしだから。
まだ親に期待しているから。
子どもにとって親は世界一の人だ。
愛されなくても、裏切られつづけても、子どもほど親を愛している者はいない。
そして、愛されなかった子どもほど、親に一途に愛求める。
いちばん愛されたい人から愛されなかった子どもの悲しみは深い。
悲しみは意識されないように、コーティングされて意識の奥深くしまい込まれる。
愛されなかった子どもは、こころは親から離れられない。いつまでも執着する。
愛が成就されないまま未完了だから。
親からじゅうぶんに愛された子どもとは対照的である。
親が幸せで、その幸せな親からじゅうぶんに愛された子どもは、安心して親から離れて、自分の人生を歩んでいける。
いっぽう愛されなかった子どもは、自分の姿を捉えそこなって、自分が何者かが分からなくなる。
いつまでも心は成長できなくて、大人になれない。
親への愛が成就した子どもと、親への愛が成就しなかった子どもでは、その後の人生の幸福度が大きくちがってくる。
心理療法の世界では、「親を諦める」ことが回復だという。
しかしあんな親でも愛されたかったと思う子どもが、ここに一人いる。
愛が成就しなかった悲しみが癒える日が来るんだろうか。
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