【愛着障害・うつ・AC】生きる力を取り戻す③戦うか逃げるか㊤
アダルトチルドレンの人は、生きる力を奪われている人たちです。
真面目でいい人、努力家で優秀な人たちなのですが、自罰的で、自己主張もないし、自分がいちばん自分を認めていません。
アダルトチルドレンの人は受け身で覇気のない感じがしますが、それは彼らの生き方が生き物としての本質とズレているからです。
人のために生きていて、自分のために生きていないから、人生がおかしくなるのです。
人の目を気にするのは人間だけで、あの人はどうすれば喜ぶんだろうと考えるのは生き物としてはあり得ません。
そう考えるようになったのは、自然界に学んだからです
ある心理セミナーを受講していたとき、御みくじみたいに自分で引いたお題について調べて発表する課題がありました。
私が引いたお題は「免疫系とウィルス」でした。人文系の私にとってまったく未知の分野だったし、何となく気がすすみませんでしたが、調べてみると、自然界には凄まじい生存競争がありました。
免疫系とウィルスの食うか食われるかの死闘が人間の体内で繰り広げられているのでした。外敵と戦う免疫系、食い入るウィルス。殺るか、殺られるかの攻防戦。
ほかの人たちは「鈴木大拙」とか「弓道」など禅がテーマのお題を引いた人もいて、私が引いたテーマとは対照的でした。禅の方こそ平和主義者の私らしいのに。
しかし私が引いたお題には、やはり私にとって意味があったようで、これを境に、人生観や世界観が変わったのでした。
人間も自然界の一部で、そこでは免疫系ウィルスのように、生きるための闘いが密かに繰り広げられていているのかも知れないのです。
ボンヤリと生きてきた私は、そのころ解離性障害で現実がうわの空になっていましたが、そこに鮮やかな一撃を食らったような気がしました。
これまで世界の半分しか見ていなかったのかもしれない、そう思いました。
私は精神の疾病でぼんやり生きてきたけど、真剣に生きている人はどんな世界に生きているんだろう?と想像してみました。
競争相手と闘い、人生を切り拓いてきたのでしょうか?外的な困難に立ち向かってきたのでしょうか?
現代の平和な日本では考えられませんが、太古の昔の人は、逃げながら獲物を追うことで生き延びてきたのです。生きるための闘いをしてきたのは確かです。のほほんとしていたら食われてしまいますからね。
ぼんやりの私には過激で衝撃の事実なのですが、そういえば人生の障害に立ち向かうことで成長、発展するのは、チャクラで言えば第3チャクラです。
第3チャクラの原型は魂の戦士。魂の戦士は、他人との交流のなかで本能的に同等な立場から行動を起こすヒーロー、またはヒロインです。
アダルトチルドレンの人は、いい人過ぎてエゴイストには絶対になれないような人たちです。
自分を押し出すこと、押されたり押し返したり丁々発止とやること、自分のポジションを築くこと、こういうことはすべて苦手で、周囲からの働きかけに反応するだけです。
自分のために闘わなければ犠牲者になります。
アダルトチルドレンの人は、闘うことを諦らめて人生から降りた人とも言えます。
犠牲者として生きている、それでいいのでしょうか?
奪われた人生を取り戻したいと思いませんか?
私は15歳の頃に人生を諦めたのですが、いまから取り戻しに行きますよ。
つづく
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