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人生が行き詰まったら逆が真実

私は親から愛された実感も、守られた実感もありませんでしたから、愛されることと守られることを自分で自分に許可していませんでした。


罪悪感がつよくて、簡単に幸せになっちゃいけないと自分で自分を厳しい道に追い込んでいく修行系の人生を歩んでいました。
 

若いときは自立を目指して親に頼らず頑張り続けました。

社会に出たら女性差別とセクハラがあって辛かったし、パートナーは思いっきり頼りにならない人を背負おうことになり、俺を幸せにしてくれと言うばかりで私を幸せにしてくれる人は居ませんでした。

頼りになる人に守られる人生、というのはやった事はありません。

愛されて守られる人生は馴染みがなくて、自分には相応しくないと無意識では思っていたのでしょう。

楽に生きる、というチョイスは私の人生にはありませんでした。

ところで。

私と同年代の人はたいてい専業主婦で、一人暮らしをした経験もないし、就職した経験もない女性はすくなくありません。

ふるさと倉敷の高校時代のクラスメイトはほとんどそうです。

ちなみに私の姉は毎月親から五万円(三十年前です)の小遣いをもらって、家事手伝いは全くしないで、毎日優雅に遊んで、お茶とお花のお稽古をして、お嫁さんになることを目標にして二十代のはじめを過ごしました。

結婚してからも実家からの援助を当然のように当てにしていました。

姉の場合は親を当てに過ぎかもしれませんが、当時の女性は実家から婚家に嫁ぐのはふつうでした。 

彼女らの人生と私の人生は混じり合うことは無いないんだろうと長いあいだ近寄ることはありませんでした。

環境が違いすぎるので話が合わないだろうと敬遠していましたが、いまは環境が違う人とでも話をできるようになりました。

これまでの経験値と人間の幅が広がったことによりますが、私の孤独感がやわらいで安心できるようになったことも関係あると思います。

You Tubeのタロットリーディングか好きでよく見ていますが、「守護する存在からあなたは愛されていますよ」「守られていますよ」と繰り返し伝えています。

守護する存在とは、ハイヤーセルフだったり、天使だったり、ガイドだったり、ご先祖だったり、龍神だったり、宇宙だったりします。

守られている、大丈夫なんだ、という感覚は生きて行くうえで大切な安心感になります。

安心感は健康な人は当り前にもつ感覚で、自分は全体の一部である、ワンネスの感覚です。

全体から分離して孤独になると安心感がなくなって病んでくるのです。


さいきん、沢山の人にお世話になっていて自分一人でここまで生きてこれたのではない、私は一人ではなかったんだと見方はすっかり変わって来て、孤独ではなくなりました。

一人で生きて行こうとして、人生が行き詰まったのは、何かが間違っていたのでしょう。

ほんとうはどうしたかったのか、自分に聞いてみると、守られたかったし、甘えたかったことを認めて自分に許可したい、と答えが返ってきました。



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