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逆の発想で、ものとやることの断捨離を考える

断捨離が続いています。2ヶ月後くらいに引越しすることに決めたので、断捨離もパワーアップ。

で、思った。

全部手放して、何もなくなったとする。
そして、やっぱりもう一度手に入れたいと思うもの以外は、いらない物なんじゃないか?

あるものを減らしていこうという断捨離の考えとは反対。ゼロからスタートして、本当に必要なものを考えていくという発想です。

そうすると、「なくてOK」と思えるものが今まで考えていた以上に多いことに気づきます。っていうか「ぜーんぶゼロにしてもいいじゃない」という気にさえなります。

例えばカウチ。いらないよね。なくても全然こまらない。ただ、カウチあるとみんなで集まってくつろげるからいいよね。まあ、家族がいる今はともかく、一人暮らしになったらカウチはいらないな。

グランドピアノ。一度手放したとしたら、同じものは買わないな。ちょっと小さめのベビーグランドやアップライトでいいかな。ま、でも、あると幸せだし、好きなピアノだから無理して処分することもない。でも、ゼロからスタートで考えてみたら、執着がなくなった。手放さなきゃいけなくなっても、なんだかサラッと手放せそうな気がする。

本も、絶版のものや仕事関連のもの以外は、まだまだ手放してOKなものも多いことに気づきます。

もちろん、手放したとしても、欲しくなった時に買い直そうと思っても買えないものもあるし、買い直すことで収支マイナスになる場合も多いから、単純にゼロにして買い直せばいいというものではないけれど。



でね、モノだけでなく、やることもその考えで見てみたんです。

たとえばこのnote。
ゼロにしたとして、また書きたいと思うのか?
そもそも私はどうしてnoteを書いているのか? (←最近、これ悩む)

私はこのノートは、仕事に使っているわけでもなく、単純に、自己表現したいときに書く、自分の楽しみのためという位置付けではじめたはず。でも、書いていると、なんとなく毎日書かなくちゃ、とか、PV数が減らないようにとか、ブランクがあると書けなくなってくるから・・・とか「書くことを楽しむ」以外の理由で記事を書くことが出てきます。楽しみばかりではなくなって、重荷に思うことすらあったりもする。

すでに書いたものを消去することはないにしても、「ーーねばならぬ」思考はやめて、原点にもどって「書きたい時に楽しむために書く」にすればいいかな。


すっきりしたい。
物も行動も。
そんな思いでの、引越し、断捨離、もろもろです。





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かよ|ロンドン在住、楽しく人生をクリエイトするシュタイナー教師&経営者 石川華代
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