算数・数学の問題。解き方によっては善にも悪にもなる。
突然挑発的なタイトルを書いてしまいました。
シュタイナー教育の現場に20年ほどいます。シュタイナー算数は素晴らしいと思いますが、まだまだ足りないところがあると思っています。
シュタイナー学校では、試験勉強をしないので、演習問題を解きまくることはしません。でも、計算はするし、算数・数学の問題も解きます。
早く早く!ではなくゆっくり時間をかけて。手を使い、感覚を研ぎ澄ませ、「教えこまれる」のではなく自分で考える時間をたっぷりとって。それはとても大事なことです。
でも、時間をかける分、量は少ない。「問題をたくさんやらせるのは悪だ」という風潮も感じられます。「たくさん」じゃなくてもいいけれど、正直言って「練習が足りない」というのを、現場で実感してきました。学校で算数にかけられる時間が限られているのもわかるので悩ましいところです。
問題演習や計算練習は、スポーツの筋トレ、楽器のの日々の練習のような役割もあります。コツコツと積み重ねて、思考の基盤になる道具を育てるようなもの。そればかりやっていては、筋トレの段階で終わってしまい、その先へ進みませんが、そこをすっ飛ばしては、せっかくの「考える力」を十分に発揮することができません。
一般に試験を焦点においた問題演習になると、たくさん、はやく、正確に・・・となって、結局「考えずに、解き方を覚えること」が一番効率的な点取り対策になってしまう。こうなったら、演習問題の悪、弊害にもなります。
そうじゃなくて、問題を解くことそのものが、楽しくて、じっくり考えられて、そのプロセスそのものが学びになるようなものだったら、問題演習が善になります。
シュタイナー教育のアプローチで、もっと問題に取り組む。解き方を教えられるのではなく、自分で問題を解決する方法を見つける力を育む。算数の問題そのものが喜びになるようなプロセスを積み重ね、本当の思考力がつく。数と質のいいバランスを保つ学びをする。
シュタイナー算数はすばらしいです。でも、完璧じゃない。まだまだ進化する必要があると思っています。
進化させていくぞ・・・と、決意を新たにしているところです。
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