『新吉原遊郭区画図』を自作してみました。(前編①)
■とにかく先につくった区画図を見て欲しい
道幅・下水幅は沽券図*注1である『新吉原之図』*注2から引用しています。自分で読めなかった箇所を翻刻してくださったのは亀井さん(@kameiasami)です。本当にありがとうございました。
■区画図を作成する際に参考にしたもの
文末に「参考文献」としてまとめます。
■江戸二丁目区画について
『新吉原之図』*注2に『堺町跡』としか表記のない堺町通りのあった場所の道幅はそのままの数字をつかいました。
また、伏見通りは遊郭図*注3や吉原細見*注4によっては、通りを挟んで両側に見世があることから、そのまま両側に見世があった場合の区画を色を変えて表記しました。
■江戸二丁目とは
浅草千束にある公許遊地、お歯黒どぶに囲まれた四角形の土地で東側にある町の名前。吉原大門から真っ直ぐに延びる仲之町通りの左側に位置しています。
2021年12月現在も、江戸二通り、伏見通りと名前が残っています。
日本橋の元吉原が明暦の振袖火事で焼失したあとに、ほかの『五丁町』(江戸一・二丁目、京町一・二丁目、角町)と共に、浅草千束の新吉原に移転した。
■伏見町について
伏見町を通りを挟んで両側にあるように表記したのは、以下の推察の結果です。
① 江戸時代とおして吉原細見を見ていると、仕様なのか通りを挟んで両側に見世があるように描かれている。*図1ー1、図1-2、図1-3
② 沽券図を見ると、江戸二側に商店などを見つけることができた。*図2ー1、図2-2
③ 『東都名所新吉原五丁町弥生花盛全図』で伏見町の入口付近を拡大すると、やはり両側に建物があるのが確認できた。*図3
前編ここまでです。次回は『堺町』を記事にします。
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