【私をつくる音楽】#6 BADモード
昨年の十一月、住み慣れた関東から地方へ引っ越した。
きっかけは主人の転職。東京採用として入社したにもかかわらず、蓋を開けてみると、出張と称して本社のある地方で月の半分以上を過ごすという状況がずっと続いていた。そのため、私は子供と二人きりの時間が長かった。
まだ幼いわが子を実質一人で面倒見ながら育休から復帰することを考えた時の心細さがひどく、主人と話し合いを重ねた結果、本社のある地方へ引っ越すことになった。
引っ越し自体については正直、ほとんど抵抗がなくむしろわくわくしていた。コロナ禍で家に引きこもる生活とワンオペ育児に追われる日々、どんどんと疎遠になっていく友人たちとの繋がり…ほんの一握りの、今でも大切な友人たちはそもそも方々に散らばりつつあり、私が関東に留まりたいと思う要素がほとんど残っていなかった。
幸い、引っ越し先でも無事に保育園が決まり、かつ私の会社もテレワークが主流になっていたため地方移住を認めてもらえた。晴れて、私は昨年の十二月に仕事復帰した。しかし、その日々は想像以上にハードだった。
ここではそのハードな内容を書くことが目的ではないし、具体的な内容の記載は避けたい。ただ、自分に課せられた仕事の責任の大きさ、画面上でしか顔を合わせることのできない同僚たちとのコミュニケーションにおけるハードル、園の先生からの息子に関するダメ出し、毎週発熱して呼び出される息子、そして仕事の内容上休めないが頼り先もないためイヤイヤ期の息子の面倒を一人で見ながらPCに向かう日々…とにかく、慣れない土地での新たな生活に、色々な要素が重なりすぎたのだ。そしてあるとき、息子を保育園へ送り出して仕事をするためにPCを立ち上げたところ、体が動かなくなってしまい、涙が止まらなくなってしまった。医師からは神経症と診断された。
正直、診断結果が出たときは安心した。仕事から離れ、子供を保育園に送り出してから何年振りかわからないくらい久しぶりに自分だけの時間を手に入れた。いつ保育園から呼び出しがかかるかわからないので常にその点においては神経を使うが、息子も、母の心が安定したのが伝わったのか、私が休職をしてからほとんど熱を出さなくなった。
とはいえ、やはり時折猛烈に不安が襲ってくる。仕事しながら息子の面倒を見ていた日のことがフラッシュバックして動悸が止まらなくなったり、夜、なかなか眠れずに気づけば朝になっていることもよくある。SNSで知り合い同士の交流を眺めては疎外感を感じ、自分は誰にも必要とされていないのではないかと悲しくなってしまうこともある。要するに、私の心はまだとても不安定で、自分のことを知りたいし自分にやさしくしてあげたいと思いつつも、どうすればいいかわからず混乱しているのだ。そして、こんなにも弱い自分であること、仕事を休んでしまっていること、精神科に通わないとメンタルを保てないことが恥ずかしいと感じることもしばしばあった。
そんな中、先日雑誌Vogueにてジェーン・スー氏による宇多田ヒカルへのインタビュー記事が載った。宇多田信者である大切な友人の一人が、私にその記事を読むことを勧めてきた。私自身、宇多田ヒカルは昔から大好きで、彼女の音楽は息遣い一つまで真似られるくらいに聴いてきたし、彼女がインスタライブを開催するとなれば正座して待機するほどだが、彼女の言葉をインタビュー記事などで読むことはあまりしてこなかった。しかし、今回の記事を読んで、今まで見えていなかった彼女の様々な素顔がたくさん垣間見えた気がした。
記事の中では、彼女が幼いころから抱えていた悩みや亡き母の影響、自分自身と向き合いながら歌詞を紡ぎだしていくプロセスについて赤裸々に語らていた。また、自分自身と向き合う方法として、九年間セラピー(精神分析)に通っていることも書かれていた。彼女が精神分析を受けていることはインスタライブなどを通して知っていたが、記事ではさらに一歩踏み込み、カウンセリングに至るまでの経緯やその効果について、素直な言葉で説明されていたのだ。
私は気づけば涙を流しながら一気に記事を読み上げていた。そして、改めて宇多田ヒカルという人間の素晴らしさを実感したとともに、幾分自分自身も救われた気がしたのだ。
日本と違って、海外でのセラピーに対するハードルや捉われ方が幾分異なると言うことももちろんあると思うが、通常、「他者と異なる自分」を曝け出すのにはそれなりに勇気が伴うものではないかと思う。しかし、宇多田ヒカルはそういった「他者と違う自分であること」を素直な言葉で話してくれた。社会的に大成功をしているアーティストである彼女が、自身の弱い部分を隠したり、格好つけたりせずにありのままに曝け出してくれたのだ。それだけでどれだけの人が救われただろうか。少なくとも私は、「精神科に通っていることは恥ずかしいことじゃないんだ。弱い自分自身を恥じる必要はないんだ。自分の弱さも全部受け入れて、いたわってあげよう」と励まされた。
今、自分がどのようにして時間を過ごすべきなのかの正解は正直よくわからない。気分が非常に落ち込んで布団から出られない日もまだあるが、天気が良い日などは海辺の公園へ行って本を読んだり、自転車で行けるところまで走ってみたり、自宅で気になる映画を観たり、油絵に挑戦するなどして過ごしている。どの作業にせよ、自分自身の心の声に耳を傾けることになるべく集中するようにしている。
毎朝、近くの神社に参拝する習慣がついた。週末は、月一で近くの海辺のごみ拾いボランティアにも参加するようになり、少しずつだが自分が何をしているときに心地よいのか、人としてどうありたいのか、そしてどのような人たちとどのように生きていきたいのかが分かってきた気がする。
私はまだまだ未熟な人間だ。今はちょい不調のBADモードの期間だろう。でも、きっと大丈夫。そんなときでも私のそばには、彼女の歌が寄り添ってくれるから。
◆本日引用した曲
宇多田ヒカル「BADモード」