可能性だらけの息子を持つ、夢を追いかける母になれた話
「自閉症スペクトラム障害です」
今年の7月、発達検査を受けた4歳の息子について医師から言い渡された診断名。
乳児期から、ことあるごとに、なんともいえない育てづらさは感じていた。
集団で遊ぶとき、同じ月齢のお友達に見向きもせず、一人はるか遠くへ走ってゆくわが子を毎回追いかけながら、うっすらと違和感を覚えた。
保育園から、息子のできなかったことや周りと違うことを毎日のように言われ続けて、私自身がノイローゼになり、仕事を辞め、息子を幼稚園へ転園させた。
だから、もうなんとなくなにかはあるんだろうなと察してはいたし、どんな診断名がついても動じないつもりでいた。
つもりでいたのに、診断名を言い渡されたとき、気づいたら涙が溢れていた。
でも同時に、一気に安心もした。
息子のできないことや、周りと違うことは、自分の育て方のせいなのではないかと常に頭のどこかで思っていたから。
医師の「障害はご両親のせいではありません」という言葉に、救われた。
そして、今までは漠然としていた息子への違和感に、はっきりとした名前がついたことに、安心した。
悲しくて、辛いけど、安心した、というわりとぐちゃぐちゃな感情だった。診断を受けた帰り道、あることを思い出して、思わずふふっと笑った。
「やっぱり予感って当たるんだ」
私は小さいころから、翻訳家になりたいと思っていた。
中学時代、勉強の合間に様々なJ-POP曲の歌詞を英訳して遊んだ。
でも、成長するにつれ「翻訳家なんて、どうせ無理だろう」と思って、諦めた。
結局、大学を出てからは普通の会社員になった。
ただ、会社員になってからも翻訳の専門学校に通って、児童文芸の翻訳は細々と続けていた。「無理だろう」と思いつつも、完全に諦めてしまうのが嫌だったから。
そんな中、その専門学校から翻訳の宿題としてあるとき出されたのが、「自閉症スペクトラム障害」の小さな男の子を主人公とする物語だった。障害を持った子供との接点が今までほとんどなかった私には、かなり新鮮だった。
物語を通して、男の子の感情が細かく描かれていて、「障害を持っていても、普通の人と変わらなくて、嬉しい気持ちや悲しい気持をちゃんと感じるんだ」という、当たり前のことに気づくことができた。人と違う中でも健気に頑張る男の子がとても愛おしいと思った。「『スペクトラム』って、『虹のスペクトラム』みたいでなんだか綺麗な言葉だな」と思ったことも覚えている。
そして、その物語を読んでいるときにふと「自分に将来、子供が生まれたらこの男の子と同じような純粋でかわいい子供が生まれるんじゃないかな」と思ったのだ。
当時、なんとなく頭に浮かんだだけのことだったのだけれど、それが現実になった。今思えば、これは私の本能的な「直感」だったのだろう。人の本能ってすごい。
それを思い出したら、診断名を告げられて、悲しみよりも、息子への愛しさが一気にこみあげてきた。あの物語の愛らしい男の子と出逢うことを予感した私のもとへ、同じように愛らしい姿で、息子は生まれるべくして生まれてきてくれたのではないか。そんなふうに思えたのだ。
息子は本当に可愛い。とても純粋で、優しくて、可愛い。ここ数年で一気に老け込んだ私の顔を見ても、毎日「ママは世界一可愛いよ」と言ってくれる。毎晩、眠る前に「ママのことが宇宙で一番大好きだよ」と言って、ニコッと微笑んでくれる。たくさんの愛情を、小さな体から私へと日々注いでくれている。めちゃくちゃイライラさせられることや、精神的に参ってしまうこともしょっちゅうあるのだけど、どんなときも、誰よりも全力で私と向き合ってくれる。本当にいい子だ。私にはもったいないくらいに。
彼と同じ診断名の有名人を調べてみた。米津玄師、イチロー、スティーブ・ジョブズ…めちゃくちゃすごい人たちばかりだ。この診断を受けた人が全員ここまですごい人になれるとは限らないのは分かっているけど、息子の未来に希望が持てた。私がいなくなる時がきても、きっと、彼は大丈夫だ。きっと楽しく生きていってくれる。そう思えたら、安心した。
息子は好きなものへの情熱がすごくて、記憶力がとてもいい。大好きな数字については「無量大数」までの単位を言えるし(ちなみに私は言えない)、宇宙の惑星の直径まで言える。他の子にはできて、彼には難しいことや、苦手なことは今でもたくさんあるし、これからも出てくるだろう。それでも、彼ならではの「好き」を突き詰めていければ、誰にも負けないその情熱と集中力で、彼にしかできないこともたくさん見つかるのではないか。そう思ったら、無限の可能性を感じた。母親である私が息子の可能性を信じないでどうする。私は彼の持つ無限の可能性を壊さないように、大事に育てていこうと心に誓った。
そしてなんと昨年末、仕事を辞めて満身創痍だった私に、ひょんなきっかけで翻訳の仕事のトライアルのオファーが舞い込んできた。ずっと「児童文芸の翻訳家になりたい」とまわりに言いふらし、細々とスクールに通い、出産を機にスクールを辞めてからも毎日黙々と翻訳を続けていたおかげでなのか、チャンスが舞い込んできたのだ。私はすかさず、なんとかその前髪を掴んだ。結果、正式に採用していただけて、今年の頭から夢だった「翻訳家」という職業を名乗れるようになった。まだまだひよっこだし、一番の目標である「出版翻訳」は遠い夢だけど。それでも、0から1に変化できたことは私にとっては大きな一歩だ。
私は、「普通」と少し違う、でも同時に無限の可能性を持つ息子の母親になることを想像していなかった。
さらに、息子のことで悩み、仕事も辞めてしまった自分が、幼いころから夢みていた翻訳家という肩書をゲットできる未来も、まったく想像していなかった。
息子のことで悩んでいた当時は、ずっと暗い霧の中にいるような気分だったけれど、今ではこう思う:「息子のことで悩んでいたおかげで、私は仕事を辞め、時間ができた。そしてできた時間で翻訳の勉強を続けていたおかげで、諦めていたはずの夢を再び追いかけられるようになったのだ」と。
息子よ、私に思いがけないプレゼントをありがとう。
君の無限に広がる可能性を育てながら、君に堂々と背中を見せられるような自慢の母になれるようにこれからも頑張っていくよ。