「療育」って…#3
子どもたちは,食堂でご飯を食べていました。友人は、施設内の寮に入っていたので、子どもたちと一緒に給食を食べてました。朝早く行くと、子どもたちと同じように、ご飯にマグロフレークをたっぷりかけて新聞を読んでいる友人がいます。テレビの音、お味噌汁の匂い,マグロフレーク病棟をつなぐ長い廊下は、お日様と子どもたちの笑い声でいっぱいでした。
数年後、訓練室のスタッフは理学療法士,作業療法士、言語訓練士になりました。(専門職以外の人は,やめていきました)部屋の名前も療育課に変わったのだと思います。私はそのころには感覚統合療法を始めていて,肢体不自由の入所の子どもたちではなく、外来や母子入園の子どもたちを受け持っていました。外来棟にいることが多くなっていたので、その雰囲気の違いに気づかなかったのです。
ある日の外廊下です。事務の人が見学のお客様に説明をしている声が、耳に入ります。「食堂の椅子がほとんどないことがやわかりますか?歩ける子が少なくなっているのです。」え?と思いました。肢体不自由の施設なのですが、松葉杖や、装具をつけて歩ける子どもたちはたくさんいたはずなのですが、車椅子の子どもたちがご飯を食べていました。
そうか,減ってきているんだ。
以前書いたように、脳性麻痺の原因は、未熟児、仮死、核黄疸です。周産期医療の発達によって、それらを引き起こすようなトラブルは、回避されるようになりました。代わりに、重度の子どもたちが増えてきたのです。いわゆる重度心身障害のこどもたちです。椅子が少なくなった食堂は、それからしばらくして食堂自体がなくなりました。食堂に行ける子がいなくなったからです。病棟で,介助されながら食事を取る子どもたちにかわってきたからです。
脳性麻痺の子どもたちのために編み出された訓練方法は、今度は,摂食や呼吸などのアプローチに変わっていきました。
先に述べたように,私は感覚統合療法をやっていました。子どもたちの状態は,二極化していきました。重度心身障害児と、今で言う発達障害です(当時は、微細脳障害と呼んでいました。)学習障害と、自閉症が急速に増えていきます。
肢体不自由児施設と、重度心身障害児の施設は、基準が異なります。肢体不自由児施設は18歳までですが、重度心身障害児施設は、ほぼ終身です。医療が発達すると、重度心身障害児の施設は満床になり、肢体不自由児施設は空床が目立つようになってきていました。
肢体不自由の施設自体が存続できなくなってきはじめたのです。病棟も重心病棟になったり、成人病棟ができたりと、全国の施設は大変だったと思います。
ただ、私だけはどんどん忙しくなっていきました。私だけが、新しい訓練室を使い朝早くから夕方遅くまでおかあさんと、こどもたちと遊んでいました。稼ぎ頭だったので,ものすごい数の子どもたちを担当していました。
そして、「療育って?」と考えはじめていたのです。
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