性別適合手術を終えて、最高の幸せと新たな一歩
性別適合手術を終えて、お仕事再スタートの1日
今日は、自宅でお仕事を再開しました。手術後は体調の波がありましたが、今日は少しずつペースを取り戻せた気がします。日々の生活に戻る一歩を踏み出した、そんな1日でした。
トランスジェンダー追悼の日に思うこと
昨日は「トランスジェンダー追悼の日」でした。仲間を失った悲しい歴史を思い出しながら、これからは自分がその声を繋いでいきたいという気持ちを新たにしました。
わたしの仲間の中にも、この世を去ってしまった人たちがいます。きっかけは、ほとんどがヘイトだったと思います。
その他、過剰な自己治療に走った人もいれば、膨大な情報に振り回されて誤った選択をしてしまい、元の性に戻れないことを悔やんで、一部の発信者に煽られたと憎悪を向けている人もいました。そして突然姿を消していきました。
性別適合手術に向けて、慎重に進めた道のり
性別適合手術を受ける前、わたしはずっと慎重に考えてきました。手術は「戻れない」という重い決断ですから、焦ることなく時間をかけて、自分の本心に向き合いました。そして、その中で気づいたのは、わたしのジェンダーが女性であり、性的指向が男性に向いているという確かな実感です。
日本の権威ある精神科に1年間通い、その後もホルモン治療を続けながら、考え抜き、悩み抜いて決断しました。
それでも、手術の前夜は「間違えてないかな?」と不安になって、Threadsに泣き言を垂れ流してしまいました。「今から逃げる方法はあるのかな?」なんてことまで考えました。
でも、長い時間をかけて、ひとつの結論にたどりついていた確信がありました。
わたしのジェンダーは女性で、性的指向は男性に向いている。
恋愛も経験して、それが明らかでした。
手術を終えた今、最高の幸せを感じる
手術を終えた今、やっぱり間違いなかったと思っています。
わたしは今まで生きてきた中で、最高の幸せを感じているからです。
これは「女性になりたい」という願望や、「女性っていいな」という憧れではありませんでした。
わたし自身が女性だった。
言葉の表現とその受け取り方について
けれど、こういった表現に対して「本当のトランスジェンダーではない」と決めつけるような当事者がいることも知っています。でも、これは言葉の選び方の問題であって、他者がその人のジェンダーを決めつけることはできません。
実際、わたし自身もかつて「女性になりたい」と言っていたことがあります。この言葉で自分の気持ちを説明しようとしていた時期があったのです。それが今になって、その思いの奥にある本質を見つけられただけの話です。
どんな言葉を使おうと、その人自身の感じていることが大切。表現の違いは人それぞれで、決して否定されるべきではないと感じています。
受け手が誰かの言葉に対して勝手な意味づけをする行為、わたしは大嫌いです。
これからに向けて
今日はそんな思いを胸に、日常に戻りながらも、これからわたしにできることを考えた1日でした。この経験を活かして、いつか講演活動にも挑戦していきたいと思っています。
頑張ったから😅
以上、回顧録でした。次回は時系列が前後しますが、手術直前から手術を終えるまでの回顧録をお届けします。