パワー・オブ・ザ・ドッグ (2021)
男性社会の歴史を再定義していく上で、「トキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)」をどう扱っていくか?
ベネディクト・カンバーバッジ演じるフィル・バーバンクは、男に支持されるカリスマ性を持ち、女々しい男と女を小馬鹿にし、馬に乗って生きることを美徳とするカウボーイで、典型的な男らしさを体現した男である。
しかし、フィルは単にトキシック・マスキュリニティを断罪するために存在するキャラクターではないというのが本作のポイント。
それはセクシャリティに関する描写にも言えるし、何より後半ピーターと交流しているときのフィルはただの不器用な男に過ぎないというか、少なくともあまり害悪な印象は持てない。
また、知的で芸術分野にも長けているという点においても従来の「男の中の男」とは違う、深みのあるキャラクターである。
ここで見えてくるのは、「男らしい男」として優秀であるが故にカウボーイという男社会の生き方に縛られてしまったフィルと、
兄の影に隠れてしまったからこそ別の生き方を選択できた弟のジョージ、考え方からそもそも違う新世代のピーターという、
先天的な能力の違いのみならず、外的要因…生まれる時代や周囲の環境など…によって分岐した三人の対比であろう。
誰のことも善人、悪人と言い切れない複雑な人間性を描くことで、また一歩進んだ再定義を試みていることが伺える。
当然、今作が有害な男らしさを肯定しているわけではないので、最後はキッチリと落とし前をつける形で(しかも驚きの形で!)結末を迎える。
が、悪が去って爽快!というわけでもなく...。これこそまさに映画館で観るべきなのに、と思わざるをえない大作。