ストーリーの終わり際がつまらなくても許してくれ
ソファに身を預け本を開く。暗い館内で大スクリーンを目の前にする。あなたが、たとえば小説や映画や漫画など、「物語」というものを鑑賞し始める時、そこにはなんともワクワクした気持ちがあることだろう。いったいこれからどんな困難が主人公たちを待ち受けるのか。彼らは何を手にするのか。敵の思惑は……。
そのようにして進んでいく物語は、しかし、終わりに向かえば向かうほどつまらなくなる。ワクワクした冒険は終わりを告げ、キャラクター達の過去は明らかになり、困難は解決され、目的のものはもうすぐそこだ。だから、物語とは根本的に、終わりに向かえばそうするほど面白みをなくしていく。逆説的に、そのようにして「面白い」ことが消費されていくものの1つが、物語と言われるのである。
この「面白みをなくしていくこと」というのはつまり、最初の内は物語には面白いものが充満しているが、それを徐々に排出していくということだ。これは「問題を解決する」、「疑問を解消する」、「秘密を明らかにする」などの過程によって、なされるものだ。
そのような処理がいくつも重なり合うことによって、物語というのは語られることになる。だから、そのいくつもの処理によって面白さがなくなっていく物語の終盤がつまらないのは必然である。
しかもそれだけではない。
この面白さをなくしていく処理もまた、どんどんとつまらなく単調になっていくのだ。物語の最初の方では、解決される問題そのもののみならず、その解決の仕方もまた、複雑でワクワクして、面白い。
けれど終盤にはもう残っている問題も残りわずかで、それをどのように解決するかも分かりきっている。それまでの冒険で主人公達の力も結束も充分だからだ。つまり、物語の中でやれることはとても少ない状態である。
そんな中で語られる物語など、面白さに限界があるに決まっている。物語とはハチャメチャだから面白いのだ。単調で予想通りで大人しいのはつまらない。そういう意味では、だからこそ物語は終わるのである。
物語とは始まりこそワクワクして楽しいものだが、終盤に行くにつれてつまらなくなる。それはむしろ、つまらなくなっていくことこそ、物語が進んでいく、終わっていくということに他ならないからである。
だから物語の終盤が面白くないのは当然のことなのだ。それをそう悪いことのように捉えないであげないでほしい。
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