成功の中に失敗があると思えるように
成功するためには失敗も必要だと言われても、どうしたって失敗などしたくないものだ。しかし人は失敗をしながら成長し、大人になっていくはずである。誰もが失敗を経験しているはずなのに、なぜそれにいつまでも慣れることがないのか。
それは人が近視眼的な生き物だからだ。
せいぜい、長生きできて100年かそこらである。そのうちの絶頂期はたかだか30年くらいで、人の生とはまことに手近なところで完結するようになっている。だから人の思考回路はすぐ先の未来までしか考えられず、したがって、失敗かどうかをそんな短い時間で判断するようになってしまっている。
それで、ある物事が上手くいかないと失敗のレッテルを貼り、人はそれを成功の糧だとは中々に思えないことになる。
実際のところそれは正しいとは言えず、失敗こそ成功の一部であるはずなのだ。つまり失敗とは本来、それをしたら終わりというものではなく、失敗することによって1つの経験として蓄積され、成功の糧となるものである
失敗を失敗と思ってしまうのは、ゴールや目的があまりにも短絡的だからである。近い未来のために人生を勘定し、日常を献上して過ごすうちに、人は失敗を失敗としか捉えられなくなってしまう。
有限の存在である人は、確かに近視眼的に生きざるをえないし、そうだからといって常に間違っているわけでもない。でも失敗は、成功のためにあることが大いにありえるのだ。それに気づき、あるいは実感できてこそ、その人の生はたかだか数十年という短絡ではなく、もっとそれ以上の幸せや成果を呼び込むことが可能になる。
成功のためには失敗も…失敗こそ、必要なのであるとすら思えるように。
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