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繋がりを受容し、いいアイデアを
いいアイデアを思いつくことは、いい繋がりを見出すことである。そこに必要なのは1つの興味関心と、それとは異なる何か1つだ。
私たちそれぞれの中には「注目すべき」ものがいくつかあり、しかしそれらだけではいいアイデアにはならない。なぜならそれは予定調和だからである。
自分の中にあるものは、その時点で、どんなにバラバラに見えていても「もう繋がっている」。だからそれはにじみ出ているのだ。自分がそれにこそ注目すべきなのだと、じんわりと漂ってしまっている。
だから瞬時に、それは「決まり切ったもの」として、誰もが求めるところの「いいアイデア」とは思えない。
しかしそのことは、どうあれ当然である。決まりきったものが問題なのではない。問題なのは、そうでないと思うことによって「繋がり」に距離をとり、受けいれられなくなっていることのほうなのだ。
湯船に浸かっている時に、蛇口から水滴がポタポタと垂れているのを止めたい。けれど湯船から上がるのが面倒である。もしくは寒いから上がりたくない。でも蛇口からはどんどんと水が落ちていく。
アイデアの源泉とはそういう、得てしてコントロールはできないもので、あるいは止めたくても止められないものであり、そうして流れていってしまうものだ。
しかし湯船のお湯と蛇口から落ちる水が同じ液体であるように、それは繋がっている。排水はろ過されて川や海へと流されて、蒸発し、また雨となって戻って来る。そういうふうにアイデアもまた、自らの心の中にある興味関心と、一見して関係のないように思える外の出来事は繋がっているはずなのだ。
なんと言っても、見ているのは「自分」なのだから。
自らの見聞がそれを自らに持ってこさせる。興味を持った生き物としての人間を中心として、その思索する内外は繋がっている。
そういう意味で、いいアイデアを思いつくことは、いい繋がりを見出すことである。もしくはそれに気づくこと、受け入れることだ。ともすればそれらは既に繋がっている。水のように。風のように。この生きる世界は全て、私たちにアイデアをもたらす繋がりである。
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