美しい量とは、美しい質とは
数値で表せることを重視する定量とそうではない定性。これらの違いはまさに数値に関わるかそうではないかだが、それに加えて最もわかりやすい1つの線引がある。
つまり、定量的なことは効率や節約が美徳だが、定性的なことはそうではない。そして現代の資本主義社会の中心は、定量である。だから私達は定量的な基準を自然と優先するようになっている。だがそれにもかかわらず、私達はなお、定性的な存在であることから逃れられない。
そのため、私達は苦労する。それは、定性的なことに対しても、効率性や節約性を当てはめようてしてしまうからだ。そんなことは出来ないのに、しても意味がないのに、何も美徳でないのに。
定量的な世界が当たり前の私達にとって、効率や節約はわかりやすく何かを向上させるための武器である。私達はそれを信じているのだ。「効率的なことは良い」「節約は素晴らしい」と。
でも、言ってみれば定性的な物事は無駄や手間のかたまりである(定量側からすれば)。そんなものに効率・節約を求めてしまえば、それら全てが必要のないものとなるのは当たり前である。良くするどころか、それを消滅させようとしてしまう。ここに、ジレンマがある。
私達の生きる世界が定量優先であることは否めない。それが資本主義的な社会だからだ。でも同時に、私達は定性的な存在でもあり、それを高めようと求めてしまっている。その、心の要求を満たすには、定量のルールは使えない。もっと意識的に、定性的に高められるようなルールを当てはめられなければ、私達はいつまでたっても、満足のいく美徳など、完璧な生き方など、手に入れられるはずはない。
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