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才能はどこにもない。見つけなければ

 才能というものに関して私たちが勘違いしやすいことの1つは、それが「ある」ものであるということだ。つまり才能は「ある/なし」のどちらかで、あればすごいし、なければダメ。ある人はそれを用いて人生を謳歌する権利を与えられ、ない人は目立たず地味に生きるしかない。そういう勘違いである。
 しかし違う。
 才能とは「ある」かどうかではなく「見つける」かどうかなのだ。それは存在を認められるものではなく、必要なものを探すべきものなのである。私たち自身が、自分の中にある、もしくはそれ以外のどこかにある才能というものに目をつけ、使う。それこそが才能の正体なのであり、従って「才能がある人」も「才能がない人」も存在しない。
 全ては見つけるかどうかなのである。

 それゆえに私たちは才能について諦めて思考停止している暇はない。そういう意味では才能がある人とは、「見つけられた人」「上手く使えた人」だからだ。最初から探そうと思えなければ才能は確実に「ない」ままになってしまう。あるなしという状態ではなく、見つける見つけないの行動のことなのだから、それを起こさねば、やはり誰も才能など手に入れることなどてきない。

「ある」ものだと才能を決めつけるとき、私たちは自らの可能性を遠ざける。「見つけられる」と信じるとき、私たちは自らを大きく前進させる。そして「探し出し」「使う」のだ。自分の才能というものを。
 そうするとき、私たちは才能があることになる。動いた結果として。決めつけない、枷をはめない自分への自由の結果として。

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