接続は正義に、切断は悪に。
現代は接続の時代を迎えて久しい。
これはどこにいるどんな人でも等しく繋がりを作れ、交流できることを意味する。それによって様々な価値観が混ざり合い、人はさらに進化した。多くのアイデアが持ち寄られ、衝突し、基本的にはより良くなったはずだ。
でもすぐに、問題が起こる。
この“接続”が強制であることだ。あるいは接続しないことが、生活に支障を及ぼすほどに不利になることだ。私たちは数十年の接続の時代に慣れ親しみ、それを当然とし、前提としてしまった。そのような生き方のみを普通と考えるようになり、つまるところ、「混ざらないこと」による良さなど、まるで無いものかのように無視してしまうようになったのだ。
言葉を変えれば、すぐに他者を頼るようになった。一見したところ良いことに思うかもしれない。でも裏を返せば、私たちは常に周囲を気にし、既にある正解を信じ、独力での決断を避けることが、当たり前になったということである。
何かと混ざることが正義になれば、それをしないことは悪になる。接続の時代は、切断を悪にした。時に私たちは、独力で何かをなさねばならないことがあるにもかかわらず、それよりも私たちは、誰かと成し遂げることに強い意味を見出している。
孤独に後ろめたさが伴う。
コミュニケーションが取れないことが、劣っているように感じる。
今のところ私たちの在り方は、そうやって、“繋がり”を軸に、それが当たり前のものとして、決められている。そしてそれが正しいかどうかは、「周りの人」が知っている。そう願って。
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