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s569
好きの責任時代に、あなたは悩めるか
好きなものを好きと語るには、責任が伴う。かつてはそうではなかった。なぜなら、その「好き」は自分の周辺にしか届かなかったからだ。けれど今は届く。届いてしまう。届くことが当たり前で、届かせないためにはひと工夫が必要になってしまう。
そのために、責任だ。好きなものを好きだと言うには、そうした影響を考えてしなければならない。もし、影響を考えられないのなら悪人というレッテルが貼られる。あるいは影響を考えたとしても、配慮しきれないのなら同じことである。わたしたちの「好き」は今、危険取り扱い物なのだ。慎重にならなければならない。そして結果としてよくない影響が及ぼされるのなら、その扱いは失敗だったということになる。
万が一にでも責任を取りたくないのなら、好きと言うのを控えた方がいい。もしくはその「好き」をできるだけ外に出ないように厳重に保管しておく必要がある。
そのようになってしまったし、そのように思われている。しかし私達は簡単に好きと言えてしまう毎日を過ごしている。いつでもどこでも、「これ好き」と言える。その感情のままに、誰にはばかられることなく、自分の気持で。
そこに発生するリスクが、なんだか変に大きくなってしまったのだ。時として。運が悪ければ。処理を誤れば。
なので、責任が伴うのである。少なくとも「無責任だ」と考えたまま好きを言うのは危うい。そういうところまできている。
でも私達は好きを表明するのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。だから困るのだ。困ったことが起こるのだ。好きの責任時代は、人々を大いに悩ませている。
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