「今」への愛着が変化を拒む
私達がとかくひとところにとどまっていたいのは、それが安全だからでも労力を使わないからでもなく、単にそこの場所が居心地が良いからである。
場所のみならず、何かを変えていこう、変わっていこうとする力は、常に未知の恐怖との戦いである。つまるところ、そうやって恐怖を感じるということは、今のこの場所がとても居心地が良いと感じることの証明なのだ。
なぜならこの恐怖というのは、「危険」が分かっているからのものではないからだ。未知。それへの怖さというのは最も根源的な取り越し苦労であるが、しかし拭い去ることの難しいものでもある。要するに、別に私達は、今いるこの場所が安全だと常に思っているわけではなく、だからこの場所以外が危険だといつも思っているわけでもない、ということだ。
だからこそ、変わっていこうとすること、どこかへ行ってしまおうとすることへの抵抗感というのはものすごい。特に、その「ところ」にずっといればいるほど、その抵抗感は増す。
愛着なのかもしれない。あるいは、自分という存在そのものと、その場所や状態、状況、世界といったものが融合しているとすら感じているのだろう。
そのために、その融合が薄い新しい世代ほど、どこかへ行こうとするし、変わっていくことをためらわない。それは生物としての単純で原始的な進化の仕組みだ。でも、それを受け入れるかどうかはまた別である。いればいるほど、私達はひとところにとどまっていたい。そこが安全だろうが危険だろうが、便利だろうが不便だろうが。その場所が故郷であり、その状態が原点である。それは自分自身だ。
変えていこうとする流れを拒むのは、そんなアイデンティティへの挑発だと感じるからなのかもしれない。
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