ストーリーを扱う人が理解すべき「ストーリー性」
ストーリーとストーリー性は異なるものだ。即ち、およそストーリーというものには確かにストーリーなのだが、そこにストーリー性が含まれているかどうかはまた別の話である。もちろん、ストーリー性があっても、それがストーリーかどうかは確約できない。
そしてなにより重要なのは、昨今、人はストーリー性を本当に求めているということである。
ストーリーとはまさに物語という意味の英語であるが、古今東西、物語が人々を惹きつけてやまないのは、そこにストーリー性があるからである。そしてそれらの、すべてのストーリーにストーリー性があるわけではない。言ってみれば、ストーリー性とは「因果」と「心情」である。それに対して、ストーリーとは「時系列」と「構成」である。
どちらも、それぞれの役目を全うする限りにおいては衝突しない。しかし、それぞれは異なるものだ。もちろん、邪魔し合う関係性になることはありえないが、あくまで違うものだということは、理解されなければならない。
その上、人はストーリーを通して、ストーリー性を求め、見ようとしてしまう。つまり因果と心情をこそ欲しがる。そういう意味で、誤解を恐れずに言えば、ストーリーそのものは求められていない。道具である。需要はストーリー性にこそあり、それは人の因果を感じ取る力と、心情に寄り添う心に共鳴する。
時系列と構成のストーリーと、因果と心情のストーリー性は異なるものだ。そして人が求めるのはストーリー性である。ストーリーが昔から求められているのは、このストーリー性を得ることができる有名な方法だからである。昨今は、もっと別のやり方でもストーリー性は感じ取ることができるため、ストーリーだけの需要というのは減じている。
ともあれ、もし、ストーリーというものに関わることがあるのならば、あるいは、なんらかの創作をする場合にでも理解しておくべきなのは、ストーリーに必ずストーリー性があるわけではなく、そして人間が求めるのはストーリーそのものではなく、あくまでストーリー性ということ、それである。
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