人間すぎるキャラクターは臭すぎる
好きなキャラクター、嫌いなキャラクター。
何か作品を見た時、そこに登場する彼らに私たちは様々な印象を抱く。それが小説だろうか漫画だろうがドラマ、アニメ、演劇…なんでも、「キャラクター」というものを見るために私たちはそういったクリエイティブに触れていると言っても良いくらいだ。
しかし時として、それらを見たくないと思うことがある。それはひいては作品自体を面白くないと感じるトリガーにもなってしまう。
クリエイティブを遠ざけたいと思ってしまう理由はたくさんあるが、その中の1つとして「人間すぎるキャラ」がある。つまりそこに登場する人物たちがあまりにも「人」なので、その作品を楽しむ意味を感じにくくなってしまうのだ。
私たちがクリエイティブを楽しむのは、それが創作だからである。つまりリアルを見たいのではなくて、あくまでそれらしいリアリティこそが、創作の面白さの根幹なのだ。
けれど視点を変えて、「創作者」のことを考えてみると、事情が異なる。往々にして創作者は、作品が創作であることからなるべく遠ざけ、隠したくなるものなのだ。即ち創作者は、それかリアルでないことを知っているから、そうなるための努力を是とする。
だが観客は逆だ。
その作品でどういうリアルが描かれるかは知らない。だから自分で探して見出す。リアルでない部分は、面白ければ楽しめる。
観客はそういう目線でいるのに、作品の中でも中心といえる「キャラクター」があまりにリアルでは邪魔してしまうのだ。創作を楽しみにしてきたのに、リアルが押し付けられる。それでは面白くない。だからキャラクターは、リアルすぎると嫌われてしまうのである。
どうしたら面白くなるのか。楽しめるのか。そういう視点で創作を考えてみると、そこにはキャラクターがいて、リアルかそうでないか、その言動や描かれ方によって、作品そのものへの好き嫌いすら左右されることになる。
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