世界中が若返っていること
子供化している。
大人も若者も、皆、とても未熟になった。生きた年数はそのままに、精神が巻き戻ったような状態。それは若返ったとも言えるが、どうあれ、必ずしも良いことを意味しない。
テクノロジーが進化していくにつれ、人間は自ら作り出した技術についていくのにどんどん必死になっていった。そうせざるを得なかった。
加速度的に変化していく世の中の理についていけないことは死を意味し、いつからか変わり続けることをやめないことが当たり前になり、人間は立ち止まれなくなった。
立ち止まらないのではなく、そうできない。人間は確かに自らの持つ技術と常識を新しくし続けてきたが、まさかそれが、ここまで終わりなき果てしないものだとは思わなかった。そのため、自らが始めたこの止められない状況についていくため、成長をやめないことにした。
成長をやめないとは、つまり未熟であり続けるということである。変化に対応し、固着化を避け、新しいものを取り入れやすくする。
この生存戦略はどうやら功を奏したようで、人間は変わり続けるこの世の中を生き抜いている。しかし、その一方で、人間の精神は若返らざるを得なかった。そして人間は、未熟さを持ち続けることが当たり前になってしまった。
これは当初、生きるための未熟さであったが、少々人間は子供っぽくなりすぎだ。どのような年代だろうと関係なく、判断、感情、価値基準、その結果としての行動など、とかく我慢できず、間違いも多く、反省もしない。
こういった人間が増えている。どのような立場でも人種でも関係なく、人間は未熟でい続けている。
結果として、この未熟さは生存戦略にとって、少しずつ邪魔になってきたように思う。人間は、自分で自分の首を締めている未熟さに縛り続けられる限りは。
それに気づいたところで、人間はそう簡単には成長できない。ならばせめて、自分たちが未熟であることを、そしてそのために諸々の間違いや問題を起こしやすくなっていること、加えて簡単にはそのことをやめられないことを、自覚すべきである。
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