「PERFECT DAYS」を4回見てわかったこと、5回目を見ようとしていること
家から職場まで3キロほどの峠越えを日々歩いている。
峠を越えた先には漁村があり、海まで通じる用水路の上、遊歩道があり、私はそこを歩いてゆく。
遊歩道のある一帯は市街地から離れ、山の斜面に住宅はあるけれど、最初に見たときにはさびれた場所だなあと思った。
遊歩道にしても用水路にしても、二、三十年前に作られてから整備させた様子なく、放置されているように見える。
「PERFECT DAYS」にも、スカイツリーが見える地域に、そこだけ昭和40年代から補修されることなく、外壁のモルタルが染みだからけのアパートが登場する。
東京の下町だけでなく、そんな時代に取り残された昭和なアパートは、あなたの住んでいる町にもあるはずだ。
見たことない、と言うかも知れない。
そんなことはない、あると私は思う。
見たことはない、のではなく、あなたの目に入らないからだ。
あなたが存在を認めようとしない、だから見えない。
ちょうど、「PERFECT DAYS」で田中泯演じるホームレスが、主人公・平山にしか見えないように。
★★★
私が毎朝歩く遊歩道にゴミステーションがいくつもあり、ゴミステーションの傍に整備された花壇が何か所かある。
ある朝私は、二人の老婆が花壇を丁寧に整備しているのを見た。
その花壇は幅が1メートルほどで長さは5メートルほどもある大きなもので、季節の移ろいとともに様々な美しい花が植えられている。
それはそれは見事なものだ。
花壇をよく見ると、町の環境景観モデル指定のプレートが誇らしげに飾ってあった。
地域全体のさびれた様子を変えることも、遊歩道や用水路を再整備することもできないけれど、花壇を丁寧に整備することで<一隅を照らす>ことはできる。
★★★
「PERFECT DAYS」の主人公・平山は、映画の中でいつも木漏れ日を見ると小さく微笑む。
木漏れ日は、木々の間だけから生じるものではない。
ステンレスに反射した人々の動きも、木漏れ日だ。
人のあとにできる影も木漏れ日であり、水面にゆらぐアップライトされた橋の灯りも、木漏れ日だ。
平山をやるせない状況に遭うと、木漏れ日を見つけることで負の感情をやり過ごす。
感謝をあらわさない傲慢な人たち、言葉ではなく舌を鳴らすことで邪険に意思を伝えようとする人たち、平山の仕事を見下すことしかできない人たち。
かれらの愚かさを平山は変えることはできない。
愚かさを受け入れることしかできない。
しかし木漏れ日が平山を救う。
<一隅を照らす>ゆらぎを見つけることで、平山は救われる。
★★★
東京の下町には緑が少ない。
青々とした緑が多いのは東京の西側だ。
下町のいわれる地域は、低層階のビルばかりで、緑豊かな公園は少ない。
しかしながら、佃島、根津、谷中などの狭い路地で、古い住宅の玄関に所狭しと鉢植えを並べる様子をよく見る。
これもまた<一隅を照らす>試みだと思う。
平山もまたアパートの一室で、湯飲みなどを鉢植えにして、小さな植物を盆栽のようにいくつも育て愛でている。
★★★
現実を変えるのは難しい。
私が死んでゆくことは避けられない。
でも<一隅を照らす>ことはできる。
一隅を照らし、変化しやがて消えてしまうこの生を、愛でる。
どのように<一隅を照らす>かは人によって色々あるのだろう。
平山は令和の東京においていちばんシンプルな方法を選んだ。
滅多にできることではないファンタジーではあるが、平山への憧れは尽きない。
★★★
あなたはどんなふうに<一隅を照らす>のですか?
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