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私のキャリアストーリー2 恩人とメンターとの出会い

私のキャリアストーリー1は
こちらから

アナウンススクールに通い
ダイエットも始めた私でしたが
何せスタートが遅かった

みんな+10くらいだとしたら
私はダイエットしながら進む
−10くらいからのスタート

当時のアナウンス試験といえば
ミスコン全盛期

東京の局や関西の局で
縁がなかった
キラキラした美しいアナウンサーの卵たちが
地方の試験会場にも沢山受験にくる状況
どんなに田舎の地方局にも
ミスコン出身の超美人な都会女子が
溢れているそれが
アナウンス試験の現実でした。

キー局、準キー局の試験では書類が
かすりもしなかった私が、
どんどん書類が通るようになり
試験会場へ行く切符を手に入れて、
少しずつ最後の何人かに
残れるようになる試験も。

しかし、現実はそんなに甘くない

採用枠は大体1つの局に1人
多くて3人までの狭き門

5月になると
だんだん書類を通過する子たちは
固定されてくるので
全国どこの局に行っても
同じような顔ぶれに会い、
そこからどんどん決まった子たちが
抜けていく。そんな状態でした。

これをいつまで続けるのだろう。
こんなキラキラした子たちの中から
本当に私をたった1人の採用枠で
必要としてくださる場所が
あるのだろうか。

不安がよぎります。

私みたいに美人でもない、
ミスコン出身でもない。
女子大生レポーターをしていた訳でもない。
そんな私が果たして
最後の1人になる日はくるのだろうか。

4年生の春になると
アナウンススクールの先生から

あなたはもうアナウンサーになれる。
最後の一人になる近いところまで来ているから
もう少し頑張ってみたらどうかな?

そう声をかけてもらったものの
すでに一般企業数社から
内定をもらっていた私は、
この辛くて長い戦いから
離脱することにしました。

当時10月に内定式があり、
その後にも沢山試験があるから
絶対絶対受けた方がいいと
言われていました。

ですが、もう闘う気力がなく、
一般企業で内定をいただいて
行きます!と伝えている
会社に失礼にならないのか
思い悩み、
迷惑をかけたくないからという理由で
アナウンス試験を受けることをやめました。

今思えば、数年で辞められるくらいなら
内定式以後でも、
必要な努力を重ねて
アナウンサーの内定を勝ち取り、
断っておくべきだったと
思うのですが、
当時は、そんな判断もできず
結局利用者としても馴染みのある
業界最大手の会社に入社することに
決めました。

入社後は、対企業の部門で2年4ヶ月
その道のプロの方向けに
電話やFAXを使って提案をする仕事は
とても楽しくてありがたかったのですが
ほとんど内勤で
同じ部署の人にしか会わない業務

他に内定した会社よりも
お客様に毎日会える会社だからと
決めて入社した
私にとっては
かなり違和感が出てきてしまっていました。

その会社の社員であることに誇りを感じて
業務に取り組む先輩方のようには
この先も、なれないと気がついた私は、
この頃人生の恩人に出会います。

それが今の夫です。

夫は、
全く映像業界に関係ある人ではありません。

ですが、私の話に耳を傾け、なんの根拠もなく
「まみちゃんならなれるよ!
 大丈夫と背中を押してくれました。」

結局私は、今の夫の応援を得て
2年4ヶ月で
私は会社を辞め、アルバイトをしながら
アナウンス試験に挑むことにしました。

アナウンス試験の詳細を聞いてくれて、
ただただ大丈夫だからと
背中を押し続けてくれました。

そして、夫に応援されながら
アナウンス試験に挑むと決めてから
沢山の人とのありがたい出会いがありました。

一人は、片山きょうこさん
彼女は当時高松に住み、
40代後半で女優、モデルとして歩き始めた
パッションあふれる女性
今は東京でモデルとして活躍されています。
きょうこさんの出演作で私の好きな作品は
こちらから→時短お料理

ひょんなことで出会い、
初対面なのにも関わらず、
当時司会業をしていた素敵すぎる彼女に、
私、アナウンサーになりたくて会社を
辞めたんです。と伝えました。

それならこんな人がいるよーと
ご紹介くださったのが
現在株式会社STORYの代表取締役で
当時アナウンサーになりたい人を
サポートしたいと準備をされていた
松下公子先生
(今は毎年多くのアナウンサーを
 輩出されています)

そこにアナウンススクール時代から
ずっと見守ってくださっていた
植田奈津子先生も加わり、
(現在は関西アナウンススクールで勤務)

根拠なく応援してくれる夫と
2人の心強い先生
年齢なんて関係ないということを
自ら体現されている母親ほど年齢の離れたお友達のおかげで
これまでにないほど、真剣にアナウンス試験に
挑み始めました。

現役時代には考えられないほど
書類が通過し、経験者枠の試験にも
当時司会の仕事をしていたことが買われ、
試験に呼んでいただくことまで。

最後の何人かになれることも増えてきて
この頃になると私にもなれるのかもしれないと
思えるようになりました。

結果社会人3年目の私は、
3つの局から内定をもらうことができました。
1つは書類と電話のみで内定というミラクル。

(当時結婚前だった)夫とメンターとの出会いが
私の人生を変え、新たなスタートに立つ
きっかけにつながりました。

こうして夢のスタート地点に立つ時点で、
実は思い描いていた夢がありました。

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それはアナウンスの学校を作るということ
最終目標はアナウンサーになって
テレビに出ることではなく
アナウンサーになりたい人や、話し方を学びたい人に
先生方のように教えられるようになりたい。
これまでのキャリアを生かして人の夢を応援する
仕事がしたい。

どうやったらできるのかわからないけれど
そんな夢を描きながら、晴れてアナウンサーになりました。

アナウンサー・映像カメラマンだった経験を元に、
自宅からLive配信や動画配信をしたい女性を
【より魅力的な動画を配信しよう!】で
応援しています!!

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