「メンやば本かじり」祈りのかたちは人それぞれ編
メンやば本かじり、いちおうまだ続けておりますよ。
さて。
近頃、地震や台風と日本国内の自然現象による問題だけでもメンタルが弱ってしまう。
能登ではまだ避難所生活を送っている人が多くいる。今月も何とか僅かではあるが募金できそうだ。もちろん私の微々たる募金だけではほとんど意味はないが、募金そのものや、その額だけが解決策ではない。避難所生活で役にたつこと、たたないことの情報を収集し、拡散している人もいたりする。能登の「現状」をSNSで訴えてくれる人もいる。そこからさらに、必要なものを具体的にあげてくれる避難所の人がいて、その必要なものを周辺地域の人に寄付してもらえるよう運動する人がいて、物資を届けいる人もいる。
これから先、きっとこの国は自己責任だなんて言葉だけでは乗り越えられないことが増えていくだろう。
ここ最近、「自分が被災者になったら」を考えた人は少なくないだろう。私ももちろん考えた。
そして、私は悲惨な状況に陥ったとき「この人メンタルつええええ」という本を読みたいと思った。ただ、被災者になり、避難所生活を余儀なくされたらネットは使えないかもしれない。だったら、防災リュックにそういう本を、文庫本サイズで薄い本を入れておきたいと思った──が、探しても見たからない。
そうか、だったらこのメンやばを防災リュックに入れておけるような薄い本にしよう!
そしてそのためには、近頃の冗長なものでなく、当初の予定、一節だけを掲載するものにしよう!
てなわけで、次回からは新装版メンやばにすることにしました。
てなことで、今回は十歳の少女が生まれてはじめて行った聖なる行為の話で締めくくりたい。
出会ったこともない人たちのために「自分でもできる何か」、ささやかな祈りの話。
それはジュンパ・ラヒリ氏による「ピルザダさんが食事に来たころ」にある。
◾️書籍データ
『停電の夜に』(新潮文庫)ジュンパ・ラヒリ著小川高義訳
難易度★★☆☆☆
著者のラヒリ氏はコルカタ(旧カルカッタ)出身のベンガル人で、ロンドンで生まれ。その後アメリカで育った。両親がベンガル人ということはヒンドゥー教ではなくイスラム教なのかもしれない。そのことを感じさせる話が「ピルザダさんが食事に来たころ」にある。ただ「神の恵みの家」ではアメリカで暮らすヒンドゥー教徒のインド人新婚カップルの話がでてくるので何とも言えないが、複雑な環境で育ったのだろうとは想像できる。
『停電の夜に』は表題作をはじめ「セクシー」や「神の恵みの家」などの短編が九作品収録されている。どの物語もラヒリ氏の細やかな表現と切なさ、それからおいしそうな食事が出てくる、週末の夜に読むのがおすすめの一冊だ。