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七月十八日 文藝2021秋

 今日は久しぶりに一日ゆっくりまったり。朝から読書をして、たぬちゃんと遊んで、小説と呼べるものにするために駄文をごちゃごちゃと書きかえて、髪も染めて、それからスーパーで作り置きのための買い物も出来た。ん? ゆっくりまったりではないか。でも、慌ただしく一日が過ぎた印象が全くない。

 ピクルスやマリネ、煮物は作り置きが出来るからありがたい。お弁当のおかずにも、つまみにもなるし。チャーシューなんて作っておくとめちゃくちゃ便利。夜食のラーメンの添え物、お弁当や晩御飯のもう一品、つまみ、卵かけご飯にのっけ。最高である。


 今日は、昨日の植物展の公式ガイドブックと文藝を読んだ。

 文藝で真っ先に読むのは、山本貴光先生の『文芸的事象クロニクル』。そう、ラストのページだ。まさかの後ろから読む。それが文藝である(私は)。

 そうか、『旅する練習』が三島由紀夫賞を受賞したのは五月だったか。もっと前だった気がするような、最近のような。毎日辟易する情報が激しい濁流のごとく流れてくるので、なんだかここ二年は特に時間の感覚がおかしい。

 思考でゲームをするサルの話は、ALSなどの難病と闘う人々の希望となればいいな、と思う。その一方で『インディゴ』の実験に使われたサルが頭を過る。なんでもかんでも簡単に仕方ないとか、批判して禁止にするとか、そういう事では話がまとまらない世界を生きている。自分はどう判断すべきか、これは知識をつけていくしかない。


 そして、昨年の芥川賞受賞者である遠野遥さんの『教育』を読む。

 ※小説の内容に触れるので、まだ知りたくない方はここまででお願いします




 今回は、今までで一番性的表現が多かった印象。性的な行為が主人公の話だけでなかったせいかもしれない。なので、正直、抵抗感が最後まで完全に払拭出来なかった。だが、性的な部分を抜きにしても遠野さん独自の狂った規則正しい世界は一層際立っていたと思う。ハッキリ言って、今回も淡々と進む割におかしいことだらけなのある。しかも、共感出来る部分は前二作に増して一層少ない。なのに、あの環境下ではそういう思考が芽生えるものかもしれないと受け入れさせてしまう「遠野遥さん引力」がある。

 そうそう、最近見たAmazonオリジナルドラマ『SOLOS』の第五話「ジェニー」を思い出させられた。このドラマは一話完結で、それぞれ主人公が違う。そして、ほぼ主人公の語りだけで話が終わる。内容は、もう一人の自分と対話する必要性や、生きる理由を決めるのはなに(誰)か、などかなり哲学的。その中でもかなり異色を放っているのが第五話だ。はっきり言ってなに一つ共感出来ない。同情する価値もない内容なのに、「でも、もしかしてこういう状況だと判断を誤るのかも」と思ってしまう自分がいる。これは俳優のコンスタンス・ウーさんの演技力がそう思わせるのだろう。彼女の嘘偽りない(と思わせる)語り口と涙。後で冷静に考えると「なんでそんな風に思ったのよ、私!」と、背筋がゾッとした。

 遠野さんの文体にも、そういった不思議な力がある。ある意味今回の文藝のテーマである「怨」に副った内容と言えるかもしれない。

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