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痛note往復書簡 三通目

 内澤 崇仁さま

 はい、はじまりました。往復書簡なのに往復していない書簡。

 この書簡はデーリー東北に内澤さんが連載されている『音は空から言葉は身から』に勝手に返信することを目的としています。

 てなことで強引に三通目、いきまーす。

【前回までのあらすじ】

 内澤さんの「エッセーとは何か。エッセーなのかエッセィなのか」という言葉からエッセイについて考えてみようというものでした。

 そうそう、文筆家の村尾清一氏によると

フランス語では「エッセー」、英米語では「エッセイ」と言うが、最近、辞書では「エッセー」が主流のようだ。

『エッセイの書き方』(岩波書店)日本エッセイスト・クラブ[編]

 とあります。

 なるなる。内澤さんがエッセーと書かれるのは、フランス語読みにされたということでしょう。余談ですが、私はパソコンデスクに常備している『新選国語辞典第九版』(小学館)に「エッセイ」とあったのでそちらにしました。

 などと、至極まっとうな人を気取りましたが、これ往復していないので全部独り言なんですよね。

 ……。

 でも大丈夫!

 無駄づくりで有名な発明家、藤原麻里菜さんが

好きなことを長く続けるためには、我に返らないことが大事なのだ

藤原麻里菜さんTwitter(現𝕏)より

 とおっしゃっていました。

 我、かえらない!

 あたいこういうの、得意!!

 さ、では雀躍と『音は空から言葉は身から』vol.2にいきましょう。

ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されている蕪島ですが、子供の頃は春から夏の間よく遊びに行っていました。
 5月にはナタネが黄色く島を覆い、6月には孵化したウミネコの雛が、7月には成長し飛ぶ練習を始める。
 とても大好きな場所です。
 そして近くに住んでいる人なら一度は絶対やったことがあるであろう、えびせんの餌やり。

『音は空から言葉は身から』vol.2(デーリー東北)内澤崇仁著

 この引用部分で美しい蕪島やウミネコを想像していたと思わせて、私の心はえびせん一筋でした。

 例えるなら、映画『パズラー』のパッケージと中身くらいの差ですね。

 何を言っているのかわからないかもしれない。なのでまずは「映画」「パズラー」でググってください。はい、出てきましたね。あのえっぐいホラー映画『SAW』を連想させるパッケージが。うわあめちゃくちゃグロいホラーやん、って思うでしょ。

 いいえ、内容はまったく違います。

 自動販売機でホットコーヒーを押したのに、なま温いナタデココドリンクヨーグルト味が出てきた(川勢の実体験です)くらいの違いがありますまずいです。

 さて。

 えびせんべいとは何だろう。

 ウミネコどもも私も大好きえびせんべい。

 食べると痒くなる(わたし甲殻類アレルギーでして)のに、やめられない止まらない、かゆかゆかゆ。

 そんなわけで、今回はえびせんべいについて一緒に考えてみませんか。

 そういえば『音は空から言葉は身から』で内澤さんの少年時代のお写真が掲載されていましたね。内澤少年が抱えている赤い袋を見るとカルビーのかっぱえびせんを思い出します。

 とはいえ、かっぱえびせんは煎餅らしくないじゃないか! 

 煎餅といえば平べったく薄いもの、というイメージが私の中にはあります。

 ただ、カルビーのホームページによるとかっぱえびせんは当初「かっぱあられ」として販売されていたそうです(関係ないですが、カルビーの社名の由来はカルシウムとビタミンB1を合わせた造語だったんですね)。

 あられならあの形も納得よね──なんて寛大な女ではありませんぜ、わたくし。

 なぜ平べったくないと煎餅らしくないと私は思ったのか。そもそも煎餅の定義がわからない。なので『老舗煎餅』(小学館)を読んでみました。

7世紀初頭の成立で、中国に残る最古の年中行事の書とされる『荊楚歳時記』はまた、煎餅について記された最古の書でもある。これによると煎餅は正月七日の「人日」に宮中でつくって食するもので(…)

『老舗煎餅』(小学館)『サライ』編集部・本多由紀子編

 中国から伝わった煎餅。ただ、中国の煎餅は現在の日本で「煎餅」と呼ばれるものとは様子がかなり違います。

本式に煎餅を焼く際に用いるのは鋳鉄の浅鍋ではなく、「鏊子アオヅ」と呼ばれる鉄製の調理器具だ。真ん中が高く、周りが低くなっており、まるで亀の甲羅のようだ。(…)鏊子の下に枝や枯葉、もしくは炭を置いてあつあつに熱すれば、その上で煎餅を伸ばし焼くことができる。

『中国くいしんぼう辞典』(みすず書房)崔岱遠著川浩二訳

泰山の煎餅屋台は無数にあるうえ、それぞれ独自の作り方と材料を用いる。ある店は生地に粟やトウモロコシの粉を使い、ある店はきな粉や干し芋を混ぜる。煎餅の味は実に多彩で、甘くさくっとしているものもあれば、香り高くぱりっとしたものもある。

同上

 今では煎餅の中に、ミソとネギのほかに、卵とレタスを入れて巻くのが普通だ。

同上

 そうなんです。

 中国の煎餅は日本でいうところのクレープのようなものだったんです。

 あるいは

春巻と似た食物がむかしからなかったわけではない。たとえば『調鼎集』には「肉餡巻酥」と「肉餡煎餅」の作り方が紹介されている。前者はみじん切りにした肉とタケノコを調理して餡にし、油でこねた小麦粉の皮で巻いて揚げたもの。後者は肉とネギの細切りを炒め、小麦粉の皮で細長く巻いて揚げたものである。いずれも春巻の作り方と似ており、とりわけ後者の方は形も現在の春巻とほとんど変わらない。

『中華料理の文化史 』(ちくま新書)張競著

 とあるように、煎餅は春巻きのようなものでした。

 そのように考えると日本における煎餅とは当初どのようなものだったのでしょうか。

煎餅のルーツが中国なら、日本にはいつ頃伝来したのだろう。(…)現存する最古の文献は正倉院文書の中の天平9年(737)のもので(…)これは大師【弘法大師】が誕生する以前に日本では煎餅が既につくられていたことを示す。

『老舗煎餅』(小学館)『サライ』編集部・本多由紀子編※【】は川勢によるもの

 正倉院文書の中にある煎餅については

たとえば『正倉院文書』の税帳などには、煎餅・環餅・捻餅などといった菓子類がみえるが、これらはすべて中国から伝わった唐菓子で、小麦や米の粉を練って油で揚げたものと思われ、宮廷などで好まれたらしい。

『日本人はなにを食べてきたか』 (角川ソフィア文庫)原田 信男著

 とあります。揚げたといっても

「煎」(材料の三分の一ほどが油に浸かるような状態にして、じっくり焦げ色をつける)

『中華料理の文化史』 (ちくま新書)張競著
 

 とあるので、今日私たちがイメージする油をたっぷり使ったドーナツなどの揚げ物より、炒めものと揚げものの中間といった感じでしょうか。

 正倉院文書の中の煎餅はどんなものなのかはっきりとしませんが、弘法大師が持ち帰った煎餅にはこんな話があります。時は八〇四年の話です。

皇帝順宗は、彼を招いて膳部料理すなわちディナーをふるまったが、その中に亀甲形の煎餅があり、空海はこれに大いにひかれ、その製法を習得して帰国した。(…)
それは今日でいうところの瓦煎餅の類といえるものであった。

『万国お菓子物語』(講談社学術文庫)吉田菊次郎著

 そうなんです。もともと煎餅というのは米粉を使用した丸いものではなく、瓦煎餅のようなものだったのですね。

 関東で煎餅というと、草加煎餅に代表される米粉(うるち米)を使った醤油煎餅を思い出す人が多いだろう。しかしこれが西日本になると、小麦粉生地で作る瓦煎餅タイプを連想する人が多いのではないだろうか。

『事典和菓子の世界増補改訂版』(岩波書店)中山圭子著

 内澤さんは煎餅と聞くと、やはり八戸(南部)煎餅なので小麦粉の煎餅を思い浮かべられたのでしょうか。ライブのグッズにも八戸煎餅を出されていたり、メンバーのお土産に購入された話をされていましたね。 

 八戸煎餅といえば

「八戸煎餅」の由来は、天保元年(1830)に南部支藩八戸2万石の城下で商品として売られたのが始まりと伝えられる。それまで土地の農民は主食がわりに蕎麦粉を練って焼いて食べていた。

『老舗煎餅』(小学館)『サライ』編集部・本多由紀子編

 とあります。江戸時代以前、八戸煎餅は小麦粉ではなく蕎麦粉を使用していたようです。煎餅って小麦粉や米粉だけではなかったんですね。

 さらにさらに

図説百科事典『和漢三才図絵』(一七一二序)には小麦粉を蜂蜜でこね、蒸籠で蒸してから成形し、乾燥したものを焼く旨が見え、また『古今名物御前菓子秘伝抄』(一七一八)は、砂糖を使う小麦粉生地の砂糖煎餅や二本の柄のついた型に餅をはさんで焼く煎餅の製法を紹介している。

『事典和菓子の世界増補改訂版』(岩波書店)中山圭子著

 煎餅といっても、蒸したり、型ではさんで焼いたり、作り方もさまざま。いやあ、驚きました。

 さらに驚いたことに中国文学者の青木正児が紹介する「陶然亭 」の目録には蝦夷かい巻煎餅というものがあります。

「蝦夷巻煎餅」は北海の燻製鮭を細長く切って海老煎餅で巻いて焙炉を取ったもの(…)

『華国風味』

 鮭の燻製をえび煎餅で巻く! これはおいしそう。うう、ビールプリーズ。

 そうそう、煎餅といっても海老煎餅はまた違いますよね。

 海老煎餅については法政大学出版局の『海老』に詳しく書いてありました。

よく水洗いした生エビの殻を手でむき、ミンチにかける。人手を省くために殻ごと機械にかけ、押しつぶして身をとるのは、殻のアクが出て風味が落ちる。エビすり身のつなぎはジャガイモの澱粉、それに、卵、塩、調味料と清水で練る。これを成形して、運行釜で焙焼した鉄板焼きである。

『海老』(法政大学出版局)酒向昇著

 海老煎餅って小麦粉でも米粉でもなく、澱粉が主流なんですよね。さらに海老煎餅のなかにも種類がある。

「海老煎餅」にはいろいろの商品がある。四角な「松風」、円形の「海老満月」、海苔を細かく入れた「しののめ」、二度焼きの代わりにサラダオイルで揚げた「羽衣」、エビおぼろ入りの「あられ」、エビ一尾をそのまま押し付けて焼いた「姿焼き」など、産地や店舗によってそれぞれの商品に変わる。

同上

 瀬戸内の観音寺では、沖合の燧灘でエビ漕ぎや貝桁漕ぎにより周年漁獲されるアカエビを使い、「海老鉄」「あいむす焼」「海老煎餅」のお土産をつくる。ここの「海老煎餅」は、エビの皮をむき、これを澱粉にまぶし、三尾ぐらいずつ鉄の皿範に入れて焼く手焼きである。「あいむす焼」は、明治の初期にエビ特有の風味を保持させるため工夫し、家伝書の「相蒸焼候也」の語より「あいむす焼」とよぶ「海老煎餅」である。また、近年になって開発された「海老鉄」は、エビに味醂をつけて生焼きした製品である。

同上

 そして、「えびせん」で忘れちゃいけないのが坂角のゆかりです。

海老せんべいのルーツは、とれたての海老のすり身をあぶり焼きにした「えびはんぺい」といわれています。1666年(寛文6年)に尾張藩主の徳川光友公が絶賛し、徳川家献上品となったそうです。

坂角総本舗ホームページ

 えびはんぺいが煎餅となったなら、長崎名物ハトシ(えびのすり身をパンに挟んで揚げたもの)も煎餅の仲間に入れたいところです。

 そうそう、内澤さんには弟さんがいらして、アメリカ在住と以前おっしゃっていましたね。アメリカのチャイニーズレストランで出されるフォーチュンクッキー。あれ、実は日本の辻占煎餅がはじまりのようです。

日本人移民は、日本での辻占菓子の嗜好のあり方を、カルフォルニアのチャプスイレストランで踏襲していた。(…)ささやかな食後のサービスとしてら辻占煎餅が持ち込まれた。

『中国料理の世界史』(慶應義塾大学出版会)岩間一弘著

それは当初、辻占煎餅の直訳の「フォーチュン・ティーケーキ」と名づけられていたが、一九四一年の太平洋戦争の開戦後、和菓子というニュアンスが伝わる「ティーケーキ」が削除されて、「フォーチュンクッキー」に改名されたという。

同上

 かっぱえびせんにはじまり、フォーチュンクッキーまで広がった煎餅トークという名の独り言。

 いやあ、煎餅の二文字にここまでの広がりがあったとは。

 広がり、で思い出すのはアルバム『One and Zero 』のタイトルについての内澤さんのお言葉です。

生まれるものが1として、無くなるものが0とすると、僕らはいろんな1と0の間に生きていると思うんです。今まで無かったものが生まれて、今まで在ったものが無くなっていく時代の中を生きている。始まりと終わりの間、白と黒の間、明と暗の間、未来と過去の間、いろんな「在るもの」と「無いもの」の間に、僕らは存在している。そして二進法の1と0と考えると、1と0があれば、無限にすべてのものを作り出すことができる。さらに言えば、1と0はアルファベットのIとO……つまり"私"と"酸素の元素記号"のような根源的なもの、またはInnerとOuter……つまり内面と外面と捉えることもできる。

『androp file2009-2014』(Talking Rock!)

 煎餅と同じく、1と0についてもこんなに考えたことがありませんでした。

 かっぱえびんせんは煎餅じゃねえなんて言っていた自分にナックルパンチをおみまいしたい気分ですが、痛いのは嫌なのでandropのアルバム『One and Zero 』に収録されている『End roll』を拝聴しなくてはいけないので今回はここらへんにしておきましょう。

 ではまた。


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