七月十五日 ボルタンスキー、それからタイムボンベ
昨日、クリスチャン•ボルタンスキーの訃報を知った。七六歳だったそうだ。
どれだけ才能のある芸術家でも、命は有限なのだ。分かっていることだが、改めて痛感した。二年前の国立新美術館で催された回顧展へ行けたのが、せめてもの救い。
「大切な人とは会える時に会うべき、書籍は見つけた時に手に入れるべき」
これはもはや変え難い、というか、これこそがこの世で確信し、証明できる数少ない「真実」かもしれない。ただし、その資格が私にあるのかどうかはまた別の話。
兎にも角にも、私たちは制限付きの時の中で生きている。きっと、酸素ボンベならぬ、タイムボンベを生まれた時に背負うのだろう。量は人それぞれ。確実に消費して、いつかはエンプティとなる。もしかして最近息苦しのは、ボンベの残量が少ないのかな、とか考える。まぁ、私のような人間はスカスカでも図太く生きそうだが(笑)
最近、自分の不遜さと無価値さばかりが気になってしまう。ボンベ、誰かにわけてあげれたらいいのに。
ああ、またネガティブな!
こんな時は本を読む読む。
花発多風雨人生足別離(花が咲けば風雨に散らされてしまうように、出会いに別れはつきものなのだから)──『心を励ます中国名言•名詩』幻冬舎文庫
別れもこんな風に、綺麗な言葉で飾れたらいいのに。
と、いかんいかん、うじうじしてしまう。
落ち込むということは、自分の事を過大評価している証拠。(明石家さんまさんの名言)『人生を動かす賢者の名言』池田書店
失恋して落ち込むということは、少なくとも失恋しないかもしれないという期待をしていたのだ。あらら、なんて不遜なのよ、私。
家に本が沢山あると、こうやっていろんな言葉に出会えるからええな。