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「読むためのトゥルーイズム」を読み、『浮遊』を読む。第一回

 このマガジンは、芥川賞作家である遠野遥さんによる傑作、『浮遊』を読むことを目的としている。

 というと、これからはじめて手にするかのようだが、じつはすでに読んでいる本だ。

 ただ、私の場合は本に書かれた文字を眺めているだけで、読めているのかどうかあやしい。

 難しい哲学書や、学術書はもちろん、読後におもしろかったと思えた小説ですら、疑わしいものがある。

 なぜ、そんなに自分の読書体験を訝しむのか。

 それは、「非哲学者による非哲学者のための〈哲学入門〉読書会」に参加したから。

 それまで、読書会に参加したことはあったが、おもしろかったか否か、作品の素晴らしい点(あるいは腹に落ちない点)などを語り合うのがメインだった。もちろん、これはこれで楽しい。

 だが、哲学入門読書会は違った。

 おもしろい、おもしろくない、ではなく、その本には何が書かれているかを検討するのが、この読書会の主旨だという。

 そんなこと検討してどうするんだ。自分がおもしろかったらそれでいいじゃないか。大事なのは、「直感だよ、直感(澁澤龍彦調)」、と言いたくなるところだが、そもそもそこに何が書かれているかわかっていないのに、直感も何もないのだ。

 そうなのである。

 自分が読んだはずの本なのに、おもしろかったはずなのに、自分には一体何がわかっていて、何がわかっていないか、そこを明確に示すことが私にはできなかった。

 つまり、私は本の内容を読んでいるのではなく、自分の感情を本に押し付けていただけだったのだ。

 これではダメだ。とても読書をしてきたなんて、言えない。

 そんな私だが、やはり今まで出会った書籍の中で「これは傑作だ」と感じたものはいくつもある。せっかく感じたのに、なぜ傑作と思ったのか、ちゃんと説明できるようにならないと無意味だ。哲学入門読書会に参加してから、私はそんなふうに思えるようになった。

 ただし、哲学入門読書会の内容は参加者限定になってしまう。そこで、哲学入門読書会を主催する吉川先生と酒井先生による『文學界』の新連載、「読むためのトゥルーイズム」をこの場で実践してみるのなら、まあ大丈夫じゃなかろうかというわけだ。ま、実践できるかどうか。ど、どうかな(汗)

 さて、話を進める前に。そもそも、トゥルーイズムとは何だって話。それは、もちろんお二人が説明してくれている。

吉川 「わかりきった」とか、「自明の理」とか、そういう意味でしょうか。(…)
酒井 そうですね。当たり前すぎてそれ自体ではとくに新しいアイデアや情報を提供するものではないような言葉です。

『文學界』「読むためのトゥルーイズム」

 ということだそうだ。

 当たり前だと思っていることを、深く考える人は非常に少ない。例えば、なぜ私はビル・ゲイツではないのか、とか。ビル・ゲイツのようになれないのか、ではなく、なぜ私の戸籍がその名前でないのか、鏡に写る姿が彼と違うのは不思議だ、といったこと。こんなことを真剣に考える人は、正直多くはないだろう。

 さらに「読むためのトゥルーイズム」には、こう書かれている。

酒井 読むという活動が〈読者がすでに出来ること・すでに知っていること・すでに持っているもの〉を基盤にして行われざるをえないということに違いはありません。なので、「知らないこと」について検討するときも「知っていること」について検討するときも、どちらの場合でも、出発点は「知っていること」の方に置いたほうがよいわけです。「知っていること」から「知らないこと」へ進むことはできますが、逆のアプローチは成り立たないからです。
吉川 つねに「知っていること」からはじめるということですね。

同上

 何事も、自明のものがないとはじまらない。そして、その自明のものがなぜ自明なのか、そこを考える必要がある。

 私はお二人のこの話を読んだとき、アマルティア・センの『貧困と飢餓』に書かれていた言葉を思い出した。

私は一斤のパンを持っている。このパンの所有権が認められるのはなぜか。私が持っていたお金を払うことと交換に手に入れたからである。そのお金について私の所有権が認められるのはなぜか。私が持っていた竹傘を売ってそのお金を得たからである。その竹傘について私の所有権が認められるのはなぜか。私が自分の土地の竹を用いて自ら働いて作ったからである。その土地について私の所有権が認められるのはなぜか。私が父から相続したからである。その土地について私の父の所有権が認められるのはなぜか、等々。

『貧困と飢餓』(岩波書店)アマルティア・セン 著 黒崎 卓・山崎幸治 訳

 コンビニでパンを買うとき、ここまで考えている人は稀有である。しかしながら、「読むためのトゥルーイズム」が求めることは、こういうことだと私は受け取った。

 受け取ったなら、実践したくなる。

 というわけで、私が傑作だと思う、遠野遥さんの『浮遊』につてい考えてみようと思う。

【わかっていること】

⚫︎ 総ページ数 137、全7章

 ページ数は多くないが、全部で7章もある。ここで、ページ数や章を把握する意味や、そこから先に「見えてくる」細やかな情報は、「哲学入門読書会」で教えてもらる。

 繰り返しになるが、このnoteでは、「読むためのトゥルーイズム」を読み、進めていくものなので、上記の内容は書きたい手を必死でとめ、省略する。

 次に、主人公であるふうかについて。今回は第1章を読んで「わかる」ふうかという人物と、その周辺情報だ。

♦︎主人公の名前は、ふうか。期末テストの話題が冒頭にあるので、中学生以上と予想できる。性別ははっきりと書かれていない。父親①から来る長文のメッセージを鬱陶しく思っている様子で、返信はしない。年上の彼氏②と同居③している。買い物は彼氏のカードで済ませている。一人称は私だが、彼氏の前ではふうか。母親④の影響でホラーゲーム⑤をプレイするようになった。

①ふうかの父親。家を出て彼氏の元で暮らす娘を心配し、地震や災害の備えはあるか、などとメッセージを送る。しかし、本意は追伸の「たまには帰ってきてね。」にあるようだ。

② ふうかの彼氏。あおくん、とふうかから呼ばれている。ふうかの父親と同じくらいの年齢。アプリを作る会社のCEOだが、社員に対しても丁寧な物腰だ。自分の子供でもおかしくない年齢差であるふうかを自身の家に住ませている。ふうかに対し、自分と同等に扱うのではなく、やや蔑んで見ているふしがある。

「おかえり。手洗った?」
 碧くんが言った。(…)手を洗い忘れたことなどないのに、いつもいつも確認されるのはちょっと嫌だった。いつだったか私がそう言ったとき、碧くんはごめんと謝り、でもふうかちゃんくらいの年齢の子はちゃんと手を洗っているイメージがないと言った。

『浮遊』遠野遥 著

③ふうかと彼氏が住む家。所有者は彼氏だ。マンションなのか、一軒家なのか、現時点では不明。大画面のテレビ、ソファ、マネキン⑥のあるリビング、彼氏が料理をするキッチンが第1章には登場する(ただし、普段は料理代行サービスの人が作り置きをしている)。

④ふうかの母親。

母親がまだうちにいたときはリビングでよくホラーゲームをしていたから、それを見ていた私もやるようになった。

同上

 と、ある。つまり、現在、母親と父親は一緒に暮らしていないようだ。存命かどうかも不明。

⑤「浮遊」というタイトルのホラーゲーム。本書のタイトルでもある。第1章は、ふうかがプレイするゲームの内容がメインとなる。25ページ中約14ページが「浮遊」のものだ。ゲームは、ふうかと同じくらいの年齢の少女が主人公。ゲームは、美術館⑦からスタートする。主人公の少女⑧は、記憶がないらしく、なぜ、自分が美術館にいるのかもわかっていない。閉館時間となり、外へ出るが、行くあても所持金もなく、彷徨っている。歩道橋を歩いていると、病院が目にとまり、そこへ行ってみることに。しかし、病院は医師の悪霊がおり、少女は追いかけまわされる。悪霊に捕まると、ゲームオーバーになるようだ。悪霊から逃げていると、太った中年男性⑨と出会う。男性は、彼女に「明るいところまで逃げろ」と助言する。

⑥ふうか彼氏、碧くんの家にあるマネキン。彼が以前交際し、同居していたアーティストの女性⑩が制作したもの。彼女が自身の体を何十箇所も採寸し、完成させた。ただし、顔はのっぺらぼうだ。

部屋が暗くなると、ソファの隣に置かれたマネキンの存在感が増した。ワンピースを着た百七十センチ近くある女性のマネキンは、ソファの背もたれに手をかけ、のっぺらぼうの顔で私を見下ろしていた。部屋の中にこれほど大きいマネキンがあるのはもちろん不気味だった。

同上

⑦ホラーゲーム「浮遊」の冒頭シーンで出てくる美術館。実際にある美術館らしく、ふうかが小学生のときに両親と訪れている。麻布十番駅の近くらしい。

(…)気付いたが、私は小学生のときにここへ来たことがあった。両親と一緒だったから、まだ低学年の頃だ。スヌーピー展をやっていた。

同上

 ここで出てくるスヌーピー展とは、二〇一三年にモリアーツギャラリーで催された「スヌーピー展 しあわせは、きみをもっと知ること。」だろうか。だとすると、『浮遊』刊行はニ〇ニ三年なので、ふうかは一七歳以上である可能性が高い。

⑧ホラーゲーム「浮遊」に登場する少女。ふうかと同じくらいの年齢のようだ。プレイヤーはこの少女を操作することになる。ダッフルコートにマフラー姿。記憶がなく、自分の名前すら思い出せない。

ここで私から操作が離れた。彼女が何かを見つけたみたいだった。歩道橋の向こう側に病院が見えた。彼女はその場所に興味を持ったらしい。自分の帰るべき家が思い出せないのは頭を打ったか何かしたからで、病院で医師の診察を受けたほうがいいというのが彼女の考えのようだった。私はまず警察に行くべきだと思った。が、彼女の意見に従って病院に向かった。

同上

⑨ホラーゲーム「浮遊」の登場人物である中年男性。記憶のない少女のマフラー⑪に不思議な力があることに気付き、彼女が悪霊のいる病院から逃げられるように手助けをする。

男性は明らかに肥満で、不自然なほど大量の汗をかいていた。

同上

「そのマフラー、どうしたんだ? こたつの中で丸まった猫のような、何かあたたかい力を感じる。少しの間だけ君を守ってくれるかもしれない」

同上

⑩「碧くん」の元恋人。彼は紗季さきと呼んでおり、ふうかは紗季さんと呼ぶ。ふうかは直接会ったことはないようだ。彼より約十歳下で、ふうかより約十歳上。ふうかが、高校生なのか大学生なのか判然としないが、二十代半ばから三十代前半だろう。彼とはすでに別れており、入れ替わりでふうかが彼の家に住むようになった。

碧くんがあまり話したがらないから、私もよく知らないけれど、何かトラブルがあって突然別れることになったらしい。私が来たばかりの頃は、紗季さんの物がまだ残っていた。

同上

⑪ホラーゲーム「浮遊」に登場するキーアイテムのマフラー。このマフラーによって少女は自分の名前を知る。

マフラーの端には、色の違う糸で文字が小さく縫い付けられていた。「YU K I」と書いてあるようだった。でも、彼女には心当たりがないらしい。
「きっと君の名前だろう。名前がわかるものを持っているなんて、君は運が良いみたいだ。もしかしたら自分のことを思い出せるかもしれないな」

同上


 以上が、第1章で読み取れる大まかな内容であり、これらをまとめてみよう。

 小学校の低学年で母親がいなくなったふうかは、現在父親とではなく、父親と同じくらいの年齢で、アプリを開発する会社経営者の彼氏と暮らしている。彼は以前、アーティストの女性と暮らしていた。買い物は、彼のカードで済ませており、家賃や生活費も払ってはいない。ふうかは、期末テストを終えたばかりの学生であり、ホラーゲームをプレイする。今回家に届いたのは「浮遊」というタイトルのものだ。注文したのはふうかだが、支払いはおそらく彼氏だろう。
 ゲームは、記憶喪失の少女が主人公だ。悪霊から逃げつつ、彼女が帰るべき場所を探してやるのが目的らしい。助言してくれる中年男性と出会い、少しずつ現状を理解していく少女。彼女には、マフラーに名前を刺繍してくれる「誰か」がいたようだ。
 ふうかが実際に訪れたことのある美術館がゲーム内に登場したり、現実とゲームの世界がリンクする部分もあるようだ。

 さて、第1章から不穏な空気が漂う『浮遊』。現実とどこか接点のあるホラーゲームや、交際相手による元恋人とのトラブルなど、気になる要素が満載だ。

 ああ、なるほど。だから私はこの『浮遊』の世界に引き込まれたのだ。

「読むためのトゥルーイズム」のおかげで、どうして夢中になって読みはじめたのか、少しわかってきた。『浮遊』は、出だしから、続きを読みたくなる内容をうまく散りばめていたのだ。

 さて、今回はここまで。次回は「読むためのトゥルーイズム」第2回を読んだ後で。

 


 

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