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ヒガンバナの花咲く里山~秋の風景➀~

川瀬流水です。10月に入ってもなお、蒸し暑い日々が続きましたが、先日は、一気に冬の到来を思わせるような寒さに見舞われました。寒暖の差の激しさには、驚かされるばかりです。

神戸・裏六甲の山麓にあるわが家の周りには、庭木として、キンモクセイを植えておられるお家が多くみられますが、今月中旬頃、満開となりました。

英語名のひとつとして「Fragrant olive」と呼ばれるとおり、柑橘系の芳しい香りが街中に満ちて、朝夕の寒さを忘れさせてくれました。

隣家の庭で咲き誇るキンモクセイ
秋の陽光を浴びた黄色い花に顔を近づけると、芳しい香りに身体中が包み込まれるように感じて、幸せな気持ちにさせてくれます

今月に入って、六甲山系の西方に広がる豊かな里山を巡りました。

主な目的のひとつは、田んぼのあぜ道に咲く、美しく赤いヒガンバナを見ておきたい、と思ったからです。

ヒガンバナは、全草有毒の多年性植物で、他の植物が勢いを増す5月に葉が枯れ、8月末頃まで球根は休眠に入ります。そして、9月中旬から10月初旬のお彼岸の頃、葉のない状態で、花を咲かせます。

神戸市北区の南西部に広がる山田町は、六甲山系と帝釈・丹生(たいしゃく・たんじょう)山系に挟まれた山田川流域を中心に開けた地域です。

かつては、山陽道の裏街道エリアとして利用され、表六甲とは一味違った京風文化が栄えました。

酒米の「山田錦」や、切り花用の「菊」の栽培は、全国的にも有名です。現在は、神戸都心部と直結する交通網の拠点エリアとして、整備が進められています。

車を使うと、都心の三宮から裏六甲の箕谷(みのたに)まで約15分(新神戸トンネル経由)、地下鉄だと、三宮から谷上(たにがみ)まで約10分、六甲を越えると、こんな近くに豊かな自然が残されています

明石海峡大橋が眺望できる国営明石海峡公園(神戸地区)「あいな里山公園」は、山田町の南西部、藍那地区に位置しています。

現在開園されている「棚田ゾーン」では、里地・里山の景観の保存再生をめざし、これまで育まれてきた伝統文化が体験できるエリアとなっています。

種まきから稲刈りまでの里山作業や、大根・白菜・人参など旬の作物の収穫体験、野鳥・水生昆虫・トンボなど里山で共生する生物の観察ができます。

神戸市の総合福祉施設である「しあわせの村」に隣接し、無料のシャトルバスが運行されるなど、地域の拠点施設として、市民に親しまれています。(入園料)大人一般450円、団体290円、小人無料、イベント等で無料開放されることもあります

あいな里山公園(棚田ゾーン)の主な施設群

あいな里山公園(棚田ゾーン)では、多様な施設を目にすることができますが、このうち先日訪れた主なものをご紹介します。

公園の正面玄関にあたる施設が、上図中央上方の「長屋門」です。

無料のシャトルバスに乗ると、しあわせの村から約10分ほどで、長屋門に着き、フラットな瓦屋根が出迎えてくれます

長屋門をくぐると、いくつかの施設が集まった広場に出ます。下図左手に見えるのが「伝庫(でんご)の家」です。江戸時代初めに建てられた茅葺きの農家が移築されました。

広場の風景、左の建物が伝庫の家です
縁側に置かれた3体の等身大の人形、まるで本物のようです、ちなみに上図右端に写っている男性は本物です
長屋門からみた伝庫の家、庭先で子供たちが竹馬の練習をしていました

近くの施設では、ボランティアグループによる「竹細工体験」教室も開かれていました。

多くの子どもたちが、お父さん・お母さんと一緒に、竹細工作りに挑戦していました

長屋門から歩いて数分のところに「白拍子(しらべし)の家」があります。

公園のある藍那(あいな)地区は、源義経にゆかりの深い土地でもあります。1184(寿永3)年、義経が播磨国から一之谷の戦いに向けて辿ったルートは「義経道」と呼ばれていますが、その道中、この地で、最愛の白拍子である静御前に舞を披露させたという伝承が残されています。

現在の建物は、江戸時代末期に建てられた庄屋の茅葺きの古民家です。

白拍子の家、時代も建物も異なりますが、この庭先で静御前が舞ったのかもしれないと想像すると、深い感慨を覚えます

白拍子の家に隣接して、棚田(白拍子棚田)が設けられています。私が訪れた日は、ちょうど稲刈りの体験学習が行われていました。

稲刈りに取り組む親子の後ろ姿、興味津々の様子が漂っています

この棚田のあぜ道に、ヒガンバナが咲いていました。

白拍子棚田に咲く赤いヒガンバナ、義経と静御前が、その後に辿った運命が込められているようで、思わず見入ってしまいました

白拍子の家から10分ほど歩くと「相談ヶ辻(そうだがつじ)の家があります。

相談ヶ辻という地名は、義経一行が、この地で軍議を開いたことにちなむと言われています。現在の建物は、明治初期頃に建てられた茅葺きの旅籠です。

今回は、この建物には行かず、その手前にある棚田(小野水田)に立ち寄りました。この水田のあぜ道にも、ヒガンバナが群生していました。

ヒガンバナが群生すると、なにか大地から湧き出すパワーのようなものを感じます

長屋門に引き返す道すがら、原っぱでくつろぐ2頭のヤギを目にしました。

子どもたちの手元を見つめるヤギの様子が、可愛いですね

ヒガンバナは、様々な異称をもっています。不吉な響きをもつものも多いですが、そうでないものもあります。

それらのなかに「相思花(そうしばな」という呼び名があります。

花が咲くときには葉が出ておらず、葉が出る頃には花が散ってしまうという不思議な特性をもつ植物。

花と葉は、お互いを見ることができず、「葉は花を想い、花は葉を想う」という相思花なのです。

ヒガンバナは、小説の題材としても多く取り上げられていますが、それらのなかでも印象深いもののひとつに、宇江佐真理の短編小説集『彼岸花』に収められた表題作があります。

ビジュアルは、宇江佐真理『彼岸花』(光文社文庫、2008)から引用させていただきました

詳しく触れることは避けますが、小説のなかで、実家に残った姉おえいと、他家に嫁いだ妹おたかの心の葛藤がヒガンバナに投影されていきます。妹の突然の死と、その真相を知った姉の想いが、次のように表現されています。

「外は眩しい陽射しが溢れていた。堀の向こうは、畑の緑が広がっている。畦道に彼岸花も咲いていた。それは、おたかが流した血の涙の色に似ていた。」

姉と妹の交わることのできなかった心の糸が、赤い花に映し出されるとき、ヒガンバナの異称「相思花」という響きが、痛切に胸に刺さります。

ヒガンバナは「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」という名でも呼ばれます。

仏教に由来する言葉で、サンスクリット語で「天界に咲く花」という意味をもち、幸せな出来事が起きる前兆として、赤い花が天から降ってくるとされているようです。

宮部みゆきの短編小説集『おそろし 三島屋変調百物語事始」(角川文庫、2012)のなかに、『曼殊沙華』という物語が収められています。

三島屋主人の姪「おちか」を主人公とする大人気シリーズの、記念すべき第1巻の巻頭を飾る作品で、非常に印象深い内容となっています。

この物語もまた、血のつながった二人の人物、兄と弟が登場します。
 
兄の吉蔵は、殺人の罪を犯し、島送りになった後、赦免されます。弟の藤吉は、奉公に出ますが、やがて兄の存在を疎ましく思うようになります。
 
吉蔵は、藤吉に会うこともできないまま、時が過ぎますが、やがて庭先に咲くヒガンバナの隙間から人の顔が見えるようになります。それは、弟の顔でした。
 
吉蔵が首をくくって死んだ後、藤吉もまた、ヒガンバナの隙間から人の顔が見えるようになります。
 
藤吉は、三島屋のおちかに、これまでの経緯を語って聞かせたのち、墓参りを終えて、急死します。

おちかは、後日、藤吉が倅に次のように言い残したことを知ります。
 
「久しぶりだった、懐かしかったと言ったそうだ。それにしても、この季節、寺にも墓にも曼殊沙華がよく咲いているものだねと、笑顔で話しておられたそうだよ。」
 
墓参りのときも、曼殊沙華の隙間に人の顔が見えていたはずです。それは誰だったのか・・・・

懐かしい兄の顔か、やっと兄を受け入れることができた自分自身の顔か、物語は明示していません。

曼殊沙華の隙間に見えていた顔は誰だったのか

ヒガンバナは、死の影を映す花であると同時に、曼殊沙華の異称のとおり、天から降ってきて、人々に喜びと安らぎをもたらす花でもあるようです。

今回は、ヒガンバナを求めて、六甲山系の西方に広がる「あいな里山公園」を訪れました。

そして、この花にちなむいくつかの物語をみてきました。

次回は、里山巡りの第2回目として、山田川流域を中心にみていきたいと思います。

六條八幡宮の「流鏑馬神事」の様子などもご紹介しますので、是非ご覧ください。




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