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会わなくなっても、幸せを願っているよ〜ロボットドリームズ〜
何でも話せたら友達?
何もかも知っているのが友達?
ずっと一緒にいるのが友達?
傷つけてしまっても傷つけられてしまってもゆるし合えたら友達?
前はそんな風に思っていたんだよな。
自分が今までに持っていた「友達」のイメージやこだわり、概念みたいなものが今年ほどどうでもいいと思ったことはなかった。
「どうでもいい」は投げやりな意味ではなくて、それまではすごく小さなことやこだわりにとらわれていたので。以前の私にとっては「すごく小さなこと」ではなかったのも確かなのだけどね。気づいていくし変わっていくものなのだね。
中高生の頃にいっしょにいた仲良しグループは何だったんだろう。大学を卒業してから10年ちょっと付き合いが続いて、イヤになってやめてしまった。5年ほどして一度復活しようと思ったけど、できなかった。お互いにダメだと思った。
その思いをしっかり断ち切るのにさらに10年ほどかかってしまった。今も時々彼女たちが夢に出てくる。ほぼ後味の悪い夢。
そのグループの子たちとは別に、中学一年生の頃からずっと仲の良い子たちがバラバラに何人かいる。
でもそのうちの一人とも何だかぎくしゃくしてきた。たぶん私が一人でぎくしゃくしている。彼女とは40年以上続いているわけで、ガシャンとシャッターを下ろすわけでもない。だけどストレスに感じるくらいなら、しばらくは会わなくて良いとも思う。
友達って不思議な存在。大切だけど、家族ともちがう。
だけど恋人と、関係性はちょっとだけ似ているなあと思う。ドキドキするかしないかだけで。
映画「ロケットマン」を観た時にも少しそんな風に思った。
合わなくなった! 距離を取る! とか思って離れても、お互いが幸せで暮らしていることを願うものなんだ。特に友達だった人たちについてはそうあってほしい。
※ストーリーについて詳しい言及はありませんが、どんな映画だったかのネタバレは少しあります
アニメで台詞はない。でも感嘆の声とか音楽は聞こえてくる。
1980年代のニューヨークが舞台。
1970年代と1990年代にお隣りニュージャージーで暮らしていた私にとって、ワールドトレードセンターがある風景は、それだけで泣く。あとマカロニチーズ! 大好きだった。特に幼少期は大好物で毎日のように食べていた。
でもニューヨークをよく知らなくたって、マカロニチーズのあの味を知らなくたって、その孤独感はきっと多くの人が知っている。
特に変わりばえのしない毎日で、気軽にしゃべり、感情を分かち合う誰かがいない。
孤独な主人公が、友達を文字通り「作る」。
これが恋人のようにも見えてくるのだよねぇ。自分たちのせいではないのに離れなくてはいけなくなって、お互いを思い合うシーンの数々も。
切なくて苦しいのだけど、途中でちょっと眠たくなってしまった。多分朝早くに観たせいなのだろう。
どうしよう私ったら退屈に思っているの? と思っていたら、最後に感情があふれ出てしまった。脳内で「うわぁーー」と言葉にならない声をあげながら観た。
大好きだった友達にしろ恋人にしろ、過去に楽しい思い出があるならきっと気持ちがわかる。
私にもうまくいかなかった悲しくイヤな思い出もたくさんあるけど、そんな友達と笑いあったあの頃。共有した思い出。あの頃はあの頃で楽しかった。その思い出はそれとして心の中にとどめていて良いんだ。
今は今の大切な人たちがいる。家族や友達とまた思い出をたくさん作って笑ったり励まし合ったりすれば良い。
実はこの前初めて、うまくいかなくなってしまった人たちと楽しく笑う夢を見た。
時々思い出す過去の自分を許しながら、今の友達や仲間を大切にしていきたいな。
あっあとね。この映画のことを思う度、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの「セプテンバー」が頭の中をうずまくようになるよ。
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