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「できるようになった!」は些細なことでも、人と分かち合いたいほど嬉しい

 中学生や高校生のころ、観たい番組を録画するのに、ビデオをセットしなければならなかった。ネットでサブスクなんかもちろんない時代で、ブルーレイやDVDよりもっと前の「ビデオテープ」をがっちゃーんと機械に入れる。
 そして録画ボタンを押す。

 これを母に理解してもらえなかった。
 「お母さんは機械が弱いから」と言う。

 なんで。
 これを入れて、録画ボタンを押すだけだって。と言っても「いやあ。それもちょっと」とか言って母は苦手な蛇でも見るようにしかめっ面をし、手の平をビデオに向けてブンブン振っている。

 簡単なことなのにな。と思っていた。
 これで機械が苦手っていうなら、私は苦手ではないんだ。とも思った。

 ところがそれから35年も経てばどうだろう。
 「お母さん、こういうの弱いから」と息子に言っている。
 簡単だよ。「いちいち教えるの面倒くさいなー」と言葉に出さずとも顔に書いてある。夫も「家にいてまで仕事みたいなことしたくない」とか「家族だときっとイライラしちゃうからなるべく口出ししたくない」とか言って最低限のお手伝いだけ。

 結果。自分でやるしかない。

 いや結果、やらない!

 だんだん進化していく機械関係の物と立ち止まる私との間には、修復不可能な人間関係のように深い溝ができる。

 デスクトップのPCにプリンターをつなげるのも自分でできていたはずなのに、最近のはケーブルが要らない。

 なによそれ。なんで要らないの。

 わからないと「アナタのこと、理解できないわ」とまた遠ざけてしまう。古いのが故障したからと買い替えて、我が家のプリンター定位置に置きはする。

 そして使えない。

 以前は、年賀状を毎年パソコン用のソフトを買って作っていた。親戚用と友達用に二種類。イラストを選んで、その組み合わせや大きさの調整、配置、バランスを考えるのは、やり始めると苦ではなかった。でも親戚以外への年賀状やめてしまうと、もう作る必要を感じなくなった。
 
 別に使う時ないし良いか。息子が当時、塾や学校で必要な物をコピーするのに使う程度。

 私が何かプリントアウトしたかったら息子に頼り「簡単だよ」と毎回言われるのに、その時はちゃんと聞いていてもすぐ忘れていく。

***

 最近、寿司店だったかでパネル注文するのに、高齢の方が「こんなのわかるか」みたいに店員に怒鳴ったことが投書されていた。「努力もしないと」と、ちょっと賛否両論、話題になった。

 わからないからって店員を怒鳴るのはちがうよーとたしかに思う。店員が何か悪いことでもしたわけじゃないだろうに。

 でもね、その高齢の方の気持ちがわからないではないのよ。
 年齢重ねてきて自分たちを振り返るとね。
 時代が私たちについてきてくれた若い頃があった。
 それからついていこうとした「まだ若い頃」があって。
 さらに取り残されそうと慌ててがんばった「もう少し若い頃」があって。

 そして今がある。
 きっとどの世代もそう。どんどん時代も物も進んで、がんばってもついていけなくなる。
 特に自分の「苦手な分野」が、世の中で当たり前のように話題となっていたらどうだろう。物心ついた頃やエネルギーを新しい物に注げる若い頃から、便利なソレが手元にあった若い人たちに「ついてこい」と言われても、「こんなにがんばってきたのに、今度はソレー?」ってヘトヘトなのだ。

 がんばってもがんばっても、また新しい物、当然のシステム、って追い立てられる。
 教えてもらって「へえ」と思えるものなら良いけど、苦手なら、そりゃあイライラもしちゃうよ。
 悲しくもなるけど、グッとこらえて、なんとか自分の中の好奇心の尻をたたく。

 ジジイとかババアとか老害だとかそこまで口悪く言われなくても「こうなったらおじさん」だの「こんなのはおばさんのすること」だの言われながら、それでも努力し続けなきゃいけないってどうなんだ。
 「若い人は」とか「〇〇世代」とか言う年配の方たちの、ひとくくりにした言葉も似たようなもので、互いにもう少し尊重できないものか。

 みんなそれぞれによくやってるよ。

 老若男女、努力もしたいけど、各々その範囲やできることって違うでしょう。少なくともできないからと怒ったりしないようにはしたい。私たち世代も。

***

 大金はたいて一般の人たちもデスクトップパソコンを買えるようになったのが25歳のころ。ウィンドウズ95が話題だった。
 私たちの世代は、おずおずとネットでの交流が始まり、7~8年後くらいには、ガラケーでメールのやり取りが当たり前になっていった。

 5歳くらい年下の母親友達ができると「絵文字使った方が良いですよー」と笑われた。友人にも「かせみちゃん、絵文字使わないと文面が怖いから使ってよ」と言われて「こんな感じ?」と使い始めた。
 時々忘れて夢中になって返事を書いていると、またイヤがられたりしながら、やっとそれを当たり前に使えるようになり。なのに今の若い人たちは「絵文字そんなに使わない」と言って使う人を笑う。

 そんなことに翻弄されなきゃ良いけれど、時代に少しは合わせた方が良いのかなとすんごい中途半端に揺れる。
 母が私の年齢のころ「おじいちゃんおばあちゃんの世代と、カセミたちの世代の間で右往左往して、けっこう大変なのよ!」と言っていたのを思い出す。

 悩みはしなくても、何だかため息も出るではないかー。

 新しいものに抵抗があるからってのんびりしていたら、noteで様々な年代の方たちと関わるようになった。
 若い人たちのエネルギーを浴びているとなんだか若返る感じがする。そんな風に母に言うと「何言ってるの。かせみも若いよ!」と言われる。そうなんでしょうね。
 だけどお母さんが知っている私より、若い人たちに置いて行かれていて、みんな「ちょっと何言ってるかよくわからない」から。

 若い人たちは、パソコンやスマホ、そしてネットを使いこなし、それが当たり前の世界にいる。それが生活の中心でさえある。
 いろんな使い方や情報を紹介してくれるけど、「へえすごい!」と思いつつ、その後試そうと思ってできないとちょっとイライラした後、あきらめちゃう。

 まあ良いわ。私には身の丈に合った楽しみ方。私には私の楽しみ方。

 そう思っていたの。noteやっていてもしばらくはね。

 だけど動かない山のようだった私が重たい腰を上げてとうとう動いた。

 TOMOさんが私の詩にイラストをつけて下さってからだ。
 そのイラストを9月のカレンダーとして使えるようにとそのやり方を書いて下さっていた。
 えーやってみたいー。コンビニもけっこう行くし!

 と思ったものの、当時は私の体調が一番悪い頃で、コンビニ行っても、やり慣れていないことに注ぐエネルギーが残っていなかった。

 時期があったようでカレンダーを作りそこねた。

 でも自分でそのイラストをダウンロードしてプリントアウトするだけでも良い。と思った。

 そして引っかかる。

 「プリントアウト」。

 あああ。どうやるんだっけ。ウチの「あのプリンター」。長い間、使ってないんだよなあ。
 
 まずはまだ使えるのか、コピーだけやってみようっと。

 本当はインクが切れていたのを放置していた記憶がうっすらある。

 一応チェックしてみたら、カッサカサに印字がかすれていた。

 ……そうでしょうねぇ。インク買い替えなくちゃって一回は思ったもんなあ。
 インクって高いよなあ。

 紙を手に遠くを見てからまた日にちが経ってしまう。

 も。
 もう少し先でいっか。

 ちょっと焦りつつ先延ばしにしていたら。

 今度はこんな記事を見てしまった。

 TOMOさんは、手帳にマメな方だ。

 がさつな私が、ていねいな暮らしをしている人のレポートや文を読んで満足するように、ていねいな手帳とかメモって、眺めるだけで充実した気分になる。自分自身のスケジュール帳とは遠い場所。こまめに予定を書く方でもないし、全然日々の記録も書きとめない。約束事を忘れないように書きとめておく程度。
 そう思っていたはずだったのに、シールにすれば面白いよ、作ってみると楽しいよなんて誘ってくるではないか。いや誘われた気がしてしまった。
 だってこんな可愛いのがちょこちょこっとあったら、貼って書いてみたくもなる。

 貼るぞ。

 よし。インク購入するぞ。

 このプリンターでは、入れ替えるのも初めてだ。
 ちょっとだけイライラしながら古い物と交換する。

 こういう機械関係の物を触る時、とにかくイライラしてしまう。
 説明書を読むのもイライラしてしまう。
 それをグッとこらえて「無感情」を自分に言い聞かせて作業するけど、そういう抑えている感情って、何かうまくいかないきっかけがあると、爆発しちゃう。爆発して暴れるわけでもないけど、爆発するとだいたい泣く。
 うまくいかなくて泣くなんて、この年齢で正気の沙汰じゃない気がするからイライラしながらさめざめと泣く。気質的にすぐ泣くのは許してほしい。

 とにもかくにも今回はインクを交換できた。

 そしてインクがしっかり出るのを確認する。

 よしよし。

 このためにシールの台紙も購入したのだ。

 セットして……。
 えーと。

 どうやったらダウンロードしたものを、プリントアウトできるのか。
 昭和の人間は、あれやこれやむやみやたらに押してしまう。
 説明書読んだ方が良いと夫は言いながら仕事に出る。

 そうだよね。
 でも説明書を出す手間が面倒だ。それに説明書自体がイライラするんだよ。

 何日か頑張ってもよくわからなかった私は、けっきょくネットで検索。さっさと検索すれば良いなんて、私だってわかっているよ。みなまで言うな。

 ほほう。アプリが必要なんだ。

 ずいぶん経ってから気づく。さっさと検索すれば……。

 アプリを入れるのも手間取り、時間もかかったけど、入れてみると「あら。これ息子に以前、入れたら良いよと言われて入れていたのに、使わないやと消しちゃったんだ」と気づいた。

 しばらくしてからようやくシール台紙にプリントアウト。
 
 シールが出てきたぞ!

 ……。

 裏表逆だった。

 インクを無駄にした気分。そしてTOMOさんの描いたものが台無しな感じがして悲しい。
 シュンとしながら、あらためて台紙をセット。


 ……。


 あはっ。

 できた。

 できたできた! 嬉しい!!

 
 次に遅ればせながら、カレンダー用のイラストをプリントアウトしようとするも、紙がないですよとプリンターに注意される。

 なんなのよー。あとちょっとなのに。どこに入れるのよーとまたイライラしてしまう。また涙がにじんでくる。ムキ―! ってかんしゃく起こしそうになる自分の気持ちをしずめるように、プリンターのあっちこっちを引き出し、解説を見る。シールの台紙と同じ場所だってば。落ち着いて考えればわかるけどさー。
 「そりゃそうよねー」と口をとがらしながらセット。

 わあああー-できたあー!!
 嬉しいよお!

 私の詩がこんな風にイラストにされて、その絵をカレンダーとしても楽しめるなんて。

 次の、ダウンロードからのプリントアウトへのハードルが下がる。(※おかげで先日、写真をプリントアウトできた)

 一度がんばると、また同じ場面になった時に取り組みやすくなる。わかっているのに、そのがんばりにかけるエネルギーは年齢を重ねるにつれて減ってしまう。
 わからなくても暮らせるってきっと理由の一つ。
 好奇心も少しずつ減ってしまう。
 体力も実はつながっている。

 ただわからないからって怒るのはやっぱりちがうよ。根気が要るけどね。教えてほしい気持ちもあるけどね。だんだん自分でチャレンジってしなくなっちゃうから。
 若い人たちに追いつけっていうのもちょっとちがうんだ。

 新しい物事に挑戦すると、別の物事ができるようになって、それによって世界が広がる。

 自分の世界が広がるのは、単純に面白くて、日々にほんの少しイロドリが加わるではないか。
 それが面白いな。良いな。って思える。

 それだけ。

 「それだけ」がすごくうれしくて、誰かに聞いてほしくなる。



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