ホルモンに振り回されてきた日々やその後について、オープンに話せると良いな
noteでお子さんに性の話をしておられる様子を書く方をぽつらぽつらと見かける。知りたがる子供に、試行錯誤しながらどうにか伝えようと真摯に向き合って素晴らしいなと思う。
性の話は命の話だ。お互いを大事にしようという尊重とか生きる尊厳にもつながる。私はその辺が足りなかったかもしれないなと時々振り返る。
息子が聞かないから切り出せずにいて、今も最低限のことしか伝えていない。
本だけは手に取れるところに置いていて、開いた形跡はある。生理について描かれたものについては感想を聞いて、人の体を大切にすることや思いやる気持ちなど、少しは話し合った。
映画「コールジェーン」を観ながら、中絶とアメリカの宗教、州ごとによる法律など大きなテーマを扱いつつ、それぞれの場面には女性特有の感覚が繊細に描かれていると思った。
診察台にいる時の目線の動き、視界に入るもの。そこに表現される心細さや不安をすごくあるあるだと思ったし、あの心境について男性は知らないものだ。中絶の手術をしなくたって、検診時の痛みも毎回深呼吸を必要とする程度にはあり、その後もしばらくイヤな感覚が残る。
他にも道端で、女性であるというだけで声をかけられるイヤな気持ち。単にオシャレを楽しみ、人の視線を刺激する恰好をしていないはずなのに。何を見ているのだろうかと気になった時の、あの恐怖と緊迫感と怒りと惨めさと情けなさとイラ立ちの入り混じった感情は女性にしかわからないだろう。
本当にジェンダーレスが大事なら、こういったことにしっかり目を向けて、ないものにしないようにしたい。
私たちに確かに生理は存在する。
だいぶ前、「生理について書く人の気が知れない」なんて言葉を目にした。
いやな気分になる人がいるから書かない方が良いのかなとたじろいだけど、こんなに大切で大変なことなのに、男性も、症状が軽い女性も知らずにいるなんて不自然だと思う。日常がままらないんだもん。
下着や生理用品に気を使わなければいけない面倒くささ以外のつらさをそれほど抱えていない女性なら、生理以外の日々とあまり変わらないかもしれない。そうした人たちからしたら「生理だから」は言い訳に聞こえてしまうだろう。誰もが苦しんでいるわけではないし、少しの我慢で切り抜けられる人たちだっているだろう。
表からわからないようにしているのに、何故わかるようにしないといけないのかと思う抵抗感も理解したい。
私だって、過去も現在も、その時の自分が生理かどうかを誰彼となく知ってほしいのではない。どちらかと言えば知られたくない。だけど生活を共にしている人たちにまで内緒にしたいなんて無理が出てくるんだよな。
生きていく上でどうしても起きて、つらく感じていることを、何故後ろめたく思わなくてはいけないのか。苦しくて日常生活に影響があるのに、家族にコソコソ隠すなんて私には難しかったし、夫には「ごめん。これから2日間くらい家事がままならない」と言ってよく協力してもらった。
苦しんでいる人たちも、それに振り回され葛藤している人たちも多い。元気な人たちや平気な人たちだけでなく、元気な時の自分とも、まったく同じようには動けないことを知ってほしい。
私はもう来ないかもしれないものだけど、後に続く世代にも「心身ともに大変なことを隠すように暮らす」大変なミッションを毎月のように遂行させたくない。
苦しい気持ちが孤立しないように。周りの人には協力をしてもらえたらと思う。
もしかしたら生理を身体の外のものとして想像し、扱うからげんなりするのかもしれない。
それだけじゃなくて、身体の中で起こっている現象。女性にとっては月に1度起きるものだけでなく内側で、そしてその前から、身体や心に変化をもたらすもの。外側からはわかりづらいものに翻弄され、できるだけわからないように過ごしたい願望とも葛藤し、けっきょくあらゆる痛みや重苦しさ、精神的なアップダウンなどつらさとつきあう羽目になっている。
40代までの私はとにかく生理痛がひどくて、吐いたり寝こんだり、のんだ痛み止めのせいで夜間救急病院のお世話になったり、ずいぶん振り回された。
10代の頃から心配になって何度か病院に通い、いずれの時も特に問題はなかった。ただ痛みに敏感で、それによって他のところに影響が出るということはわかった。
痛み止めだって良いタイミングでのまないと、効き始めるまでの、痛みに耐える時間もまっすぐ座っていられないほどつらい。婦人科や胃腸科などにも通わなくてはいけないし、他にも身体の悪いところが色々あるのにそこをごまかしながら生活するなんて、難題すぎる。ごまかせる人はごまかしたら良いけれど、ごまかせない人を遠ざけないでほしい。
痛みの軽い人と寝込むほどの人と、痛みの全然ない人がいる。それ以外の困りごとも人によってさまざまにある。
寝込むほど痛い人の中には病気も潜んでいるから、放置は決してしないでほしい。かと言って、私のように寝込むほど痛いのに、全然異常が見つからない場合もある。
苦しんでいなくても月1回以上出会うのだから生理の重い女性にとってはすごく負担だ。
月1回と言われているけど、28日前後の周期って、始まった日から数えるわけだから、その周期で来れば、間は3週間。月によっては2度来ている場合もあるわけだ。向こう一週間や次回のことを考えながら予定を立てるなんて、女性なら当然だろう。
外出先。そのタイミング。仕事の入れ方。人との会食。出先のトイレ。持つ荷物。
日常的に考えているのに、そこを考慮せずに男性と同じように動けないことを「女性はこれだからもう」と下に見られるなんてことがあるとしたら理不尽だ。
体力的なものについてももっと考慮されて良いと思う。生理中に腰が痛くて重たい物を持つとか、冷えやすくなるから水を扱った作業とか、それ以外の時期と比べてすごくつらいのだよ。生理の痛みや量の大変じゃない人だけが社会進出して良いとしたら、不公平だもの。身体がそもそも丈夫ではない私は、しっかり働きたい女性だって応援したい。
アラフィフになると、更年期を迎える。
更年期は、45歳頃~55歳頃の間にあるのが平均で、症状の軽い重いもあるし、期間の長い短いもある。
症状も様々にあって、私は夜中の動悸と胃のムカつきから始まった。その後、頭痛、倦怠感、イライラや不安感や落ち込みなどの精神状態の悪さ、寝汗、ホットフラッシュ、ドライアイ、悪夢、不眠、など。前からそういう症状は日常にあっても、ちょっと様子がちがうと感じられるものがそれぞれ1か月~半年ほど続き、最近は全部がマシにはなったものの日によってあれこれと順番におそってくる。
何故こういうものが起きるのかは、ご存知、閉経を迎えてホルモンが大激動するからだ。
それに関して、寂しいと感じる人もいるようだけど、生理が重い人や痛みの強い人は「はやく終わってほしい」「せいせいする」という思いだろう。
私は早く終われと願ってはいた。もうすぐ終わりそうだなと気配も感じていた。もう影が薄く、ぼんやりした生理は来ても「もう帰るね」と去っていく。
これを書いているより少し前の話だけど、その時も久しぶりに、まあまあだけどきちんといらした。
直前に様々なことが起きる。
異様な食欲にもりもり食べるのを抑えられない。不安定な精神状態が続くので気持ちが揺れまくる。周りに対しては気の長い私だけど、とにかくイライラする。不安感が強くてなんだかずっと泣きたい。軽いめまいも続き、首がやたらこり、胸が張って痛い。便秘になっちゃう。
なんなのこの症状の数々。なんて思っていたら、いらした。
ああそうだった。と後から思う。何十年経っても、直前の症状に「なんなのよ。どうしたのよ私」と思い続けたなあ。何度来たってその瞬間はホルモンによるものだとは思いたくないものだ。だってその不安定な気分を実感している最中に、「ホルモンのせい」は多少なぐさめにはなっても、すっかり改善することはないからだ。そしてやってきたらやっぱり大変。今さらひどくはないけど少し痛む。横になっても心細くて落ち着かない。倦怠感も久しぶりにひどい。軽いめまいと軽い頭痛がずーっとしている。
早く終わってほしい。
久しぶりの症状の数々に、ふと思った。
私は生理とはそろそろ完全にお別れだ。今も婦人科に通っているし、この先もお世話になるようなことが出てくるのかもしれない。子宮に関しての心配事は何歳になってもある。
私が大学の時にお世話になった先生は最近、70歳くらいで子宮体癌の治療をした。私も定期的な検診は当分欠かさないつもり。
いずれにしても毎月振り回され、痛みと闘った密度の濃いお付き合いとはお別れになる。
私の身体、本当によく頑張ってきたな。きっとそれ故守られてきたものもたくさんあったのだ。
その証拠に、前回の血液検査で、コレステロール値は爆上がり。
そのうち骨密度も下がると言う。体重も少し上がっただけなのに体型は激ゆるみ。絶対私はああはならないんだと思っていたポッチャリおばさんができ上がった。
絶対ああはならないなんて思っていた若かりし頃の自分に、愚か者と言いたい。
それは、そうなってしまった自分以上に、そんな価値観を持っていた若い頃の自分に対してだ。
ああはならないんだ、の「ああ」って何なんだ。それは醜い姿なのか? 劣化って言葉の残酷さ。幼く、つたないその表現力。攻撃性の強さ。
その基準は。らしさとは。若いって何。若々しいって何。若さを保つって何。
もうなんにもなんにもわかっていなかった。
ただホルモンに守られていただけなのに。
それは自然に離れていくものなのに。
きっとこの先、ちゃんと歩いていないと体重維持とかじゃなく、筋力だけでなく骨に影響する。筋肉や健を大切に充分に使い、衰えるのを遅くしなければならないのは、周りに迷惑をかけたくないから。子供の世代に迷惑をかけるのをできるだけ減らし、できるだけ悲しませないために。
そしてあんな風に年を重ねていくと良いんだなと背中を見てもらうために。
今の私は父と母にならいたい部分がたくさんある。
二人がどんな風に暮らしているかを見ているのはとても参考になる。できるだけ自分たちを生きながら、若い人たちの考え方を知ろうとする。
私もそんな風に、年下の世代に思ってもらえるように。安心してもらえるように。
最近は更年期も終盤にさしかかっているのか、以前より動けるようになってきた。落ち着いてきたらもっと動かなきゃとの思いが私を焦らせるけど、焦らないようにね。一直線にはうまくいかない。
この前、女子校の子たちが男子校に行って、生理について話し合う試みをテレビで見かけた。
少しずつ時代も変わっている。
まわりの人の体調を思いやれることが当たり前になる日々が来ると良いな。