学生時代に心を動かされた三冊

 推薦図書の募集に関しては、やり過ごそうかなと思ったけど、皆の文を読んでいると、面白くなってきて、やっぱり何回かに分けて加わろうと気が変わった。noteの良いところですね。自然と刺激を受けます。


 たくさんあるので、まずは、中学~大学生辺りで読書に目覚め、おそらく一番本を読んでいたであろう頃のおススメ本について。

 体がどうにも軟弱にできているため、幼少期からよくベッドで横になって本を読んでいた方だと思う。一般的に「家に置いてあるだけ」とされていた、当時の「少年少女世界文学全集」を体調崩して何度も学校休んでいるうちに、全巻読破してしまった記憶がある。でも内容をほとんど覚えていない残念な記憶力だ。あれ? この言葉、最近どこかで書いたことがあると思ったら、そうだ映画の話か。何についても残念な記憶力は発揮されるようだ。でも本を読むことは好きだった。その世界に入り込んでしまったら、妄想の世界は豊かで広く、限りがない。


 そして中学生の頃。太宰治の『人間失格』に出会って衝撃を受けた。

 こんなタイプの小説があるのかと知った。自分で落ち込んだ気持ちをどうしたら良いかわからなかった時、その気持ちのやり場を、この本に見出し、どのように自分で受け止めるかを感じ取った。又、私小説というスタイルに憧れて、自分も何か書けるのではと原稿用紙に向かってみた。当時パソコンはおろかワープロも普及していなかった時代だったもので。それで書き出してみたものの、感傷的になり自分の世界に浸るばかりで全然書けなかった。そんな簡単なものじゃないのかとしみじみしちゃった中学生の頃。

 それから色々な文学作品にのめり込んだし、ミステリー小説も読んでみたけれど、その次にガツンと頭を打たれたのは、ジェフリー・アーチャーの『ケインとアベル』だった。

 どのように生まれ、どのように生きても、年老いた時に、同じ場に居合わせて挨拶を交わすシーンで、弱冠17歳の私は、ウウーン……と唸った。同じ場所にいる二人だけど、それまでの道のりは全然違うということ。これはどういうことを意味するのか。彼らのそれまでの人生の意味を考えることで、自分の人生とは何ぞやを考えることになり、ある程度、自分の納得する答えを見つけ出した。


 大学生になってからは、英米児童文学を専攻したおかげで、先生から多くの英語圏の絵本や児童文学書を教えてもらった。先生は、日本の児童文学もたくさん読みなさいと促してきて、灰谷健次郎の本を中心に、その頃の新人作家さんたちの本も含めてたくさん勧めてきた。先生のことが大好きで、初めて身近な人に尊敬の念を抱いた私は、言われた本は全部読んだ。いちいち心を動かされた。


 そして最終的に私が選んだ本は、『足音がやってくる』だった。マーガレット・マーヒーというニュージーランドの作家が書いている。

 彼女が書く本の内容は、童話などでよく描かれる意地悪な継母と違い、子供たちとの関係が良いものであった。時代を反映したものかもしれないけれど、「継母」ったってみんな意地悪じゃないのよ、色々なパターンがあるでしょ、と示してくれていた。
 彼女の作品には、魔法を使える子が多くて、『足音がやってくる』では、それを、主人公の母親が「あなたのキラキラ光る部分」と表現している。その部分は輝いているはずだから大事にしなさいと。私はそれを‘個性’と読み取った。

 彼女のキラキラ光っている部分は、祖母が認めなかったため隠し続けていたけれど、本当は彼女にとっては大切なものであった。家族の中の他のメンバーたちの考えていることも、性格も、それぞれ違うことや、継母のこと、魔法を使える彼女や主人公のことを考えるにつけ、家族と言えども個人個人はバラバラで、ひとまとまりではないのだと感じた。一人一人の集合体で家族を作っているだけで、その一人ひとりの個性は違ったものであることは、私にとって嬉しい発見であった。

 親は、自分とは違う個人を慈しみ育てるんだなあということ。

 子供は親と違って構わないんだなあということ。

 生まれ持った個性というのは、それぞれの輝く大事な部分なんだ。
 7歳で帰国してから、ずっと自分を押し殺して暮らしていた私にとって、大学生の頃にそのように感じたことは大きな収穫だった。この本を、大好きな先生に勧められたおかげもあって、私は15年ぶりにニュージャージーに行ってみようという思いを強くした。


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