「書く」のが好きな人が観たらきっと共感できる~じわじわ伝わる「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」~
90年代半ばのニューヨークが舞台なので、ちょうど夫と私が出会い住んだ頃のニューヨーク。こんな風に夢を思い描いてニューヨークに出てきた女の子がたくさんいたと思うと、それだけで胸おどる。
そうは言っても、野心むき出しでもないし、自分を売り込む積極性があるわけでもない。主人公ジョアンナは、人柄や心の内がじわじわ伝わってくるタイプ。
服装からもそれがにじみ出ている。田舎から出てきた設定だからか、古めの文学が好きな設定だからなのか、当時から見てもほんの少しだけ古めの服を着ている。とは言っても、ニューヨークで古めって、日本の流行や古めとはちょっと違う。
だけど確かにああいう服が流行った。私が20歳の頃に着ていた。90年代入り口くらい。てろんとした素材のブラウス。大きな花柄の派手なブラウス。首から胸元にかけて花模様の刺しゅうのシャツ。
今見れば、ちょっとレトロで、こんなにも可愛いのかとキュンとした。
*多少はネタバレになります
ジョアンナは詩を書くのが好きな文学少女。文学といっても、古めのものが好き。生きている作家の本を読みなさいと言われるけれど、好みなんだから仕方ないよねえ。
偉大な作家サリンジャーへのファンレターにシュレッダーかけつつ、定型の「お断り」文を書いて返す作業は、最初こそ「ここにいさせてもらえる」から、まあ良いかの気持ちだったけど、少しずつ納得いかなくなっていく。
ジョン・レノンを殺してしまった人がサリンジャーの大ファンだったらしいために慎重に、ってなるのだろうけどね。
でもファンレターに書かれてあるサリンジャー作品への熱はすごくて、好きな人、好きな作品、への思いが、直接語りかけられてくるように伝わる。文章ってこういうことなんだよなと改めて感じる。
そんな中、詩への熱い思いがありながら、彼女のふるまいが押し出し強くなくて自然。
強く堂々としているわけではない。積極的でガンガン自分をアピールしたり、思ったことをすぐハッキリ言葉にできたりもしない。私もニュージャージーにいたってあのくらいだった。と共感できるていどの積極性と、えんりょしたりその状況を受け入ちゃったりする態度。たくさんの言葉を飲みこむ。
でも彼女は素直なんだよな。そこが彼女の魅力。
表情も、求められた感想を伝える時も。人と相対した時の態度も。
サリンジャーからも心からの助言をもらえちゃう。
ただ自分の魅力がわかっていない彼女は、迷いに迷っちゃう。誰かの言葉を頼りにしたいし、誰かと一緒にいたいし、それでいて野心にあふれた自分だと思いこみたい。
だけど日常との葛藤があって。じわじわ彼女の心に変化がおとずれる。サリンジャーの本を少しずつ読み進めていくシーンがたくさんあるのも、とてもリアルで愛おしい。本を読む人の表情って真摯で豊かだな。
そして思う。
本を読んでいる間と同じように、創作って、本来孤独なんだ。
静かに自分と向き合う作業に、それを思い知らされた。
文を書いて作ること、絵を描くことって、誰でも孤独の中にいる。
ベッタリ誰かといて、その経験そのまんまを表したって下品で無神経になるだけなんだ。
だから寂しくても気持ちは自立しないといけない。あるいは自立しようと葛藤して考え続けることが必要なんだよなあ。
彼女の大好きな彼にも夢中になるものがあって、それぞれ打ち込んでいると彼女も気づく。
互いに尊敬できるのは良い関係だよね。
クライマックスの場面だと私は感じたのだけど、彼と踊るシーンは「ラ・ラ・ランド」を思い出した。きっと想像の中で踊るのは、彼への思いを復習しているのだろうなあって。私はそんな風に解釈する。その先、どうするかはそれぞれの続きがあるだろうけれど。
彼女の成長、製作に対する心の持って行き方、ドラマチックに変化していかないけど、すべての変化や人々の魅力をじわじわ感じさせられた映画だった。