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どんな状況にいても、心を満たすものって何だろう~マッドマックス フュリオサ&マッドマックス 怒りのデスロード~

 荒廃した世界とか、SFの世界とか、残虐なシーンとか、若い頃はしっかり見ておかなければとどうにか観ていたのに。その度に眠れなくなり、どうしても苦手になってしまった。その映像が強く脳裏に焼き付き過ぎて、想像や妄想は膨らみ過ぎ、現実世界との境界があいまいになり、日常に戻りづらくなる。眠れなくなるし、夢には出てくるし、当然ヘトヘトになる。そんな日がしばらく続くので観なくなっていった。
 それでも夫や息子と話がしたくて、MCU(マーベルシネマティックユニバース)作品を観るようにした。残酷なシーンとか痛そうなシーンとか緊迫したシーンとかは、目を伏せたり焦点をぼかしたり字幕に集中したり。直視しない技術をあげていった。
 懸命に作った人たちにとても申し訳ないのだけど、それが私の妥協点なのだ。
 それでもストーリーやメッセージを知りたいのは、伝わってくるものが面白いから。感動で心揺さぶられたり、ワクワク高揚したりする方が、そういう苦手なシーンを圧倒的に上回ってくる。
 だからそうまでして観たいのかと聞かれたら、そうまでして観たい。

 「マッドマックス フュリオサ」を観たがる夫なので、私が「観ない」と言えば一人で山越えして観に行くような夫なので、それじゃあ私が寂しいので。
 つながりのある「マッドマックス 怒りのデスロード」を頑張って観た。2015年公開作品。「ヴェノム」のトム・ハーディが出ている。「ヴェノム」のトム・ハーディは強くてもどこか愛らしい役どころだけど、彼は本物の柔術大会で何度か優勝しているのだ。本当に強くて怖いのは彼なのかもしれない。
 そんな彼の、今から9年以上前の姿は若くてなかなかキュートだった。ほとんど喋らないけど。

 「マッドマックス 怒りのデスロード」に関しては、観終わった後、テンション高くなるのがわからなくはない。
 あれこれ考えようとしても「なんかわからないけど、そういうことになってるんだ!」って、思考を放棄したい設定が多すぎて。ギターと和太鼓で、もうわからなくても良いやってなる。トラックやバイクが改造されまくって、ブオンブオン砂漠を爆走してさ。観終わってもこっちもなんかブオンブオンしちゃうのかも。興奮した感想を書いている方がたくさんおられる。私が読んだ感想はどれも「面白かったー!」が伝わってきて、それを読むのが面白かった。
 アカデミー賞や他の賞にもノミネート、受賞が山のようにあるのも納得。

 「マッドマックス 怒りのデスロード」はマックスの話なのだけど、その時に協力し合う関係になったのがフュリオサ。
 フュリオサは、有能な運転手で有能な戦士。武器の扱いに長けていて、腕力は強いし、気持ちは激烈に強い。
 何故彼女がこんなことになっているのかと、気になるほどの存在感。

※ここから先はけっこうなネタバレあります





 今回の「マッドマックス フュリオサ」で、そのいきさつがわかる。にしても、ディメンタスがとにかく残忍でひどい。この人これから殺される、と思うシーンが来る度にそのシーンを見ずにいたので、見ていないシーンが多くてごめんなさいと、作った方々にやっぱり申し訳なく思う。
 序盤で、ディメンタスが幼いフュリオサに「見ておけ」と目をかっぴらかせる様子がチラリと見えて、それだけでも、ただの一観客なのに、はらわたが煮えくり返りそうな思いになる。
 許せない。悲しい。おぞましい。ムカつく。
 そんなシーンの積み重ねだ。
 そのうちに気持ちは憎しみとなってくる。フュリオサと重なってきて、ディメンタスをやっつけろの思いがグツグツと沸いてくるようだ。

 そして終盤でわかる。

 ディメンタスもその思いを抱えていた。

 誰かや何かを憎み、やみくもに復讐に明け暮れても、心が満たされる時などやってこない。

 「マッドマックス」を、ジョージ・ミラー監督は何作も作っている。いつも戦争や核で荒廃した世界から始まっていて。私が観た「マッドマックス 怒りのデスロード」「マッドマックス フュリオサ」では共に、オープニングでその説明がある。この世界は人間の愚かな所業の末にこうなったと訴えている。
 こんな風に自分の家族や愛する者を奪われてしまい、それに加担した人を憎むとして、その憎しみを誰彼となく向けたとしたら。憎悪をふくらませていったとしたら。
 悲しみは怒りとなり、憎しみとなり、人を復讐へと駆り立てる。ただ座って観ているだけでその気持ちが主人公と共に湧いてくるのだから、実際にその立場に立ったら。やはり復讐だけに心を奪われてしまうのではないか。それで本当に世界が救われるならまだしも、復讐以外の目的がないとしたら。

 今一度、よく考えてほしい。
 そう言われているようだった。

 観終わったらもう一回「怒りのデスロード」の方を観たくなった。

 「怒りのデスロード」で心に残り続けるのが、人々の描かれ方。
 スピード感ある映像が続く中、その集団に一人ひとりの心があるのだと、じわじわ伝わる。ワイブズたちも、ウォーボーイズたちも。
 ウォーボーイズは、イモータン・ジョーの捨て駒に過ぎないのに、イモータン・ジョーに認められたくて仕方がない。だからこそ死に飛び込んでいってしまう。ひどすぎる。戦争を思う。
 彼らが一人ひとり個性を持つ人間で、承認欲求がちゃんと存在していると伝わってくるのが、つらくてたまらない。
 ニュークスが、ケイパブルに慈愛を寄せられて、初めて自分の中に人への愛を感じた上での「俺を見ろ」は、それまでに言うつもりだった「俺を見ろ」と全然意味合いが違う。

 人はどんな状況でも本来の個性を胸の中に持ち、気持ちは揺れ動く。
 それを自由に芽吹かせ表現できたら。そんな環境にいられるのって、幸せなのだ。
 フュリオサがささやかに心を豊かにする瞬間は、声を伝えたいと思える人を得た時だった。

 「怒りのデスロード」「フュリオサ」の二本を通して、どこよりも疲れたのは「怒りのデスロード」の中盤、まさに折り返しの辺り。「えええええ……も……もど……うそおーん。しんどおー!!」と、心の中で大絶叫した。ほんと盛大にビックリしたよ。



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