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書評#5 リンドバーグ『海からの贈り物』

私にとっての「はたち」は、ジェンダーに呪われた1年だった。


とはいえ、その布石はもちろん20年の間に散々置かれてきたものだから

正確には、その一年に多くの自己暗示を指摘され、払拭することで

より強く自分が生きてきた「女性」を自覚した印象の年。というところ。


どうして性差を語るとき、女性が女性を踏絵にしなくてはならないのかなー。

という不快感から、私はこの身体と意思の齟齬に関する一切の不満を、誰かのせいにするのはやめた。

私が私である所以が、私を惨めにするのだと思う事にする。

それが「女性である」事実を卑下しないための、唯一の手段でもあった。


けれど現実、私を取り巻く狭い世界は、いつも疑問符の出来事にあふれていた。

主張したい当然の権利と、その瞬間認めざるを得ない敗訴との板ばさみの中で

私は何度、皿を洗ったり、掃除をしたりしたのだろう。

「それは女の仕事」と、叱られることもあった。


ならば女子という仕事そのものを辞めてしまいたいよ。


という、到底叶わない転職願望を抱きつづけながら、女性である以前の、不甲斐ない「私」を責めた。


とはいえ結論として、「女だから」的不条理は、ある種キャンペーン的に減っている。減らされている。それは誰の目にも明らか。

だけど、活躍も、働き方も、色んなことが
それもまた結局は、言い方を変えた「女だから」なんじゃないかと、息苦しさは変わらないようで。


そんな中で、求められているのはこんな「贈り物」ではなかっただろうかと、そんな気持ちで読んだ。

この作品は、主張ではないし、啓蒙でもない。

しかしどんなジェンダー論より、私に納得を迫る聡明さがある。

それは、受け容れるしなやかさ。そして誰もが男女でしかなく、独りであるという事実。


20歳の時に味わった、もう一つの脱皮感は

今にして、女子である私を幸せにしたものだったと思う。

けど、女とかどうとか以前に、自分でありたい。


男女問わず、自分を大切に思う人に読んでもらいたい作品です。

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