8月1日 これは消すかもしれない日記
今日は朝からすこぶる眠くて、ついでに昼くらいから吐き気も出てきて、夕方、仕事が終わる頃にはぐったりとしていた。復職後は6時間のフルリモート勤務にしてもらっていて、やがて8時間勤務に戻したいとは思っているけれど、今日ばかりは時短勤務であることに感謝した。あと2時間もモニタと睨めっこしていたら、もしかすると本当に吐いていたかもしれない。
吐き気はあるのに、お腹は空く。けれど、洗い物をするのも、食事の用意をするのも億劫だ。こんな日も来るだろうと冷凍食品を買っておいた自分を褒めたい。けれど、いざ冷凍庫を開けてパッケージに触れると、ゴム手袋越しに冷感が指先へ伝わって、ピリピリとした痺れを感じる。なんだかテンションが下がって、何も取らずに冷凍庫を閉めた。夕食をとるのは諦めた。
闘病中の多くの人たちは、温かいごはんを作ってくれる人がいるのだろうか。みんな家族に支えられているのだろうか。どうしてわたしは一人なのだろうか。
どうしても何も、すべては過去の自分の行いと、今の自分の性質にある。今だって、自己憐憫の真似事をしてみただけで、誰かと生活を共にしたいとは微塵も思ってなんかいない。一人は時に寂しいし不便だけれど、それよりも気楽さや穏やかさが勝つ。わたしはもう誰とも一緒に暮らすことはないだろうし、セックスだってもう誰ともしないだろう。家族やパートナーを持つのはおろか、人を好きになる気持ちも忘れてしまった。癌になってから異性と遊んだときに、車を避けた弾みで腰に触れられて、心から気持ち悪いと思った。今のわたしの身体はお医者さんや看護師さんに診られる/看られるためのものであって、しょぼい性欲を向けられて然るべきものではない。
「頼っていいよ」
「おっちょこちょいだね」
なめんな、わたしはお前より強い。頼っていいなら治療費を出せ。寝言は腹から腸を出してから言え。
ごく一部の友だちと、こうして文章にする以外、人に弱みなんて見せてやるものかと思う。でも、この文章はnoteで公開している以上、不特定多数の人に読まれることになるだろう。弱みを見せないというのはペラッペラのスタンスだけで、わたしの弱みは全世界に垂れ流されている。
でも、書かなきゃやってらんないもん。そんな日もあるよね。